なぜ松竹梅は縁起がいいの?『チコちゃんに叱られる!』

2019/7/5放送の『チコちゃんに叱られる!』
チコちゃん「なぜ松竹梅は縁起がいいの?」
答えは「冬でも元気な植物だから」でした。
詳しく教えてくださるのは文化人類学を研究している江戸川大学の斗鬼正一名誉教授。
松竹梅の元は「歳寒三友」
お寿司屋さんなどが松竹梅と使っていますけど、元になっているのは「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」というのがあるんですね。
「歳寒三友」は平安時代に中国から伝わった絵のテーマのこと。
「歳寒」は寒い冬の季節を表し、「三友」は冬に共にするべき三つの植物を指しています。
そんな植物の組み合わせが描かれましたが、松竹梅の三つが描かれたものが定番でした。
しかし日本に「歳寒三友」が伝わった当時、この絵が特に縁起が良いという認識はありませんでした。
この「歳寒三友」は中国では、清廉潔白・節操という意味はありましたが、縁起物という意味はなかったんですね。
では、松竹梅はいつから縁起がいいと言われるようになったのでしょうか?
松が縁起物となったのは平安時代
松が縁起物となったのは、「歳寒三友」が伝わった頃と同じ平安時代。
宮廷の儀礼である「小松引き」が発祥といわれています。
小松引きは、正月に野に出て若い松の木を引き抜いてくるというものです。
松は樹齢が長く、冬でも青々としていることから、引き抜いた若い松の木は長寿祈願のシンボルとして愛好され、縁起物となったと言われています。
現在、正月に飾られる門松は、この「小松引き」がルーツと考えられています。
竹が縁起物となったのは室町時代
竹が縁起物になったのは松からおよそ600年後の室町時代。
庶民の生活用品として利用されていた竹ですが、室町時代に入ると茶道や華道が流行り、茶室や園庭に使われるようになって竹のイメージがアップ。日本各地で多くの竹が栽培されるようになりました。
広く冬でもすくすくと伸びるその姿を見て人々は竹を子孫繁栄のシンボルとして縁起がいいと感じるようになったと思います。
この頃から門松に竹が加わったと言われています。
こうして松と竹は縁起物として重宝されていました。
しかし梅は長く縁起物として扱われていませんでした。
梅が縁起物になったのは江戸時代
梅は江戸時代に庶民の間で大ブームが巻き起こっています。
梅は古くから実は燻製にして漢方薬として珍重され、花は観賞用として楽しまれていたといいます。
しかしそれはあくまで貴族など特権階級の人たちのもの。
梅が庶民に広まっていったのは江戸時代。
きっかけは、お米の育ちにくい痩せた土地に厳しい環境でも育ちやすい海の栽培を奨励したからだと言われています。
こうして、体にも良い梅干しが庶民の食卓に並ぶようになります。
日本中で植えられた梅の花を見ることを「梅見」と呼び、花見より通として大流行。
食べれば健康になり、厳しい寒さの中でも花を咲かせる梅は目生命力の象徴として縁起物となったといいます。
こうして松竹梅は縁起の良いものになった
ようやく江戸時代になって、松竹梅の三つが縁起の良いものになりました。
この3つの冬でも元気のいい植物が全て描かれた「歳寒三友」の絵が縁起の良い絵として広まり、松竹梅の1セットになったと考えられます。
まとめ
「松竹梅」の意味は、NHKドラマ「梅ちゃん先生」を見ていて知っていましたが、もともと日本で縁起物と認識されていないことに驚きました。
歴史の勉強は好きではありませんでしたが、日本で松竹梅どのように縁起物になっていったかを学んで面白かったです。学校でもこんな風に歴史を教えてくれたら、きっと歴史の勉強が好きになっていたことでしょう…。

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