単1・単2の「単」ってなに?『チコちゃんに叱られる』

2019/8/23放送の『チコちゃんに叱られる』。
指原さん・草刈さん・松重さんをゲストに迎えています。

今日のチコちゃんからの質問はコチラ。

チコちゃん「単1・単2の「単」ってなに?」

一つでも済む電池という意味

詳しく教えてくださるのは次世代電池の研究をしている東京理科大学応用化学科の駒場慎一教授です。

昔は「積層電池」を使っていた

乾電池のことを「単1電池」「単2電池」といいますけども、このような電池は「単位電池」といいます。
つまり、「1つで済む電池」というわけです。

1934年頃まで使用されていた電池は主に「積層電池」という複数の乾電池を一つにまとめて直列にして高いで夏にした電池でした。
40代以上の方は見覚えがあるになると思いますが、最近あまり見かけませんよね。

当時懐中電灯などの電化製品は消費電力が大きく、1本の乾電池ではまかないきれないものが多かったといいます。
そのため、乾電池はひとまとめにされて「積層電池」として売られていたのです。

しかし戦後、電化製品の省エネ化乾電池の性能向上により、「一つで済む」という意味の「単位電池」、これを略して単1電池・単2電池という言葉が生まれました。

乾電池の発明者は日本人

今となっては当たり前のように使っている乾電池ですが、世界で初めて発明したといわれているのが実は日本人だということを皆さんご存知ですか?

その人物の名前は屋井先蔵

あまり知られていない理由には、彼の不遇の人生が大きく関係しているのです。

きっかけは時計

屋井が受験生だったとき、当時の時計の精度が悪いため時刻は時計によってバラバラため受験生の屋井は受験に間に合わず受験を受けられませんでした。
この時、屋井はどの時計も同じ時刻を刻む正確な時計を作ろうと誓いました。

こうして屋井は全てのお金を時計の発明につぎ込み、寝る間も惜しんで研究に没頭しました。
電気で正確に動く「連続電気時計」の開発に成功し、日本で初めて電気分野での特許を取得したのです。

しかし「連続電気時計」はほとんど売れませんでした。
原因は時計を動かしている電池にありました。

当時の電池は「湿式電池」と呼ばれるもので、電解液という液体を使用したものです。
液漏れしてしまう、冬場は凍ってしまうなどの欠点があり、普及しなかったのです。

そこで屋井は新しい電池の研究を始めることにしました。

ロウソクから乾電池を発明

屋井はロウソクのロウからヒントを得て電解液に石膏などを混ぜてペースト状にすることで液漏れと凍結を解消したのです。
さらに、電池の容器自体を電極にするという画期的な構造を生み出したのです。

屋井はこれを「乾電池」と名付けました。
こうして1887年に世界初といわれる「屋井乾電池」が誕生しました。

大学の教授たちの高評価を受け、シカゴ万国博覧会に出展されることになりました。
これで世界中が乾電池の注目して注文が殺到すると思われましたが、シカゴ万博で出展された屋井の乾電池を見て、外国の企業が模倣品を製造してしまいました。
屋井は乾電池の開発に財産の全てをつぎ込んでしまったため、特許を取るためのお金をすぐには用意できず、その間に輸入された模倣品が国内に出回るという事態になってしまったのです。

自分に収入が入らないと落ち込んだときに、陸軍から大量に注文が来ました。
その理由は、日清戦争です。
それまで軍は情報戦を左右する電信機に湿式電池を使用していましたが、極寒の地でも凍らない乾電池を採用したことで情報戦を制して戦争に勝利ました。

こうして「屋井乾電池」の名は瞬く間に世間に広まっていきました。
屋井は会社を設立し、乾電池を量産して「乾電池王」と呼ばれるようになったのです。

しかし、これからというときに屋井は胃がんのため亡くなりました。
その後、会社は軍からの需要が途絶えたこともあり倒産してしまいます。

功績があまり知られることはありませんでしたが、屋井の乾電池の技術は他の日本の企業にも受け継がれ、現在まで様々な電池が開発されています。

所感

「積層電池」を見たこともなければその名前も初めて知りました。
当たり前すぎて昔から存在しているような気になっていましたが、昔はそうではなかったのですね。
家電の省エネ化万歳!乾電池の性能向上万歳!

しかも発明者が日本人だというので誇らしいです。
しかも特許を取れなくて模造品が出回ってしまったのも日本人らしいなと思ってしまいました。(完全なる偏見))

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