パラリンピックの「パラ」ってなに?『チコちゃんに叱られる』

2019/8/23放送の『チコちゃんに叱られる』。
指原さん・草刈さん・松重さんをゲストに迎えています。

今日のチコちゃんからの質問はコチラ。

チコちゃん「パラリンピックの『パラ』ってなに?」

パリンピックの「パラ」はパラプレジアの「パラ」

詳しく教えてくださるのは、東京オリンピック・パラリンピック推進本部事務局長の平田竹男さんです。

パリンピックは元々車椅子に乗る人だけの大会だった

パラリンピックの「パラ」という言葉は「パラプレジア」という言葉の「パラ」から来ています。
パラプレジアの「パラ」と「オリンピック」を掛け合わせた言葉が「パラリンピック」ということですね。
パラプレジアは「下半身まひ」という意味です。

しかし、パラリンピックには下半身麻痺ではない選手も多く出場していますよね。
パラリンピックはもともと車いすに乗る人だけが参加する大会とされていたんです。
その起源は1948年、イギリスのとある病院で行われたアーチェリーの競技会だといわれています。

1948年に開催されたロンドンオリンピック。
これに合わせて、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で第2次世界大戦で負傷した軍人たちがリハビリの成果を競い合うアーチェリーの競技会が開かれました。

この競技会は、「ストーク・マンデビル大会」と呼ばれ、1948年以降毎年この病院で開催されています。
次第に世界各国から車椅子の選手が集まる国際競技大会へと発展していきます。

「パラプレジックオリンピック」へと展開

そして1960年オリンピック開催都市で「ストーク・マンデビル大会」を行おうと大会委員会が決めたんです。
こうして毎年、ストーク・マンデビル病院で行われていた大会は1960年のオリンピックに合わせてローマで開催されました。

この大会はオリンピックにあやかって、下半身まひを意味するパラプレジアとオリンピックを掛け合わせた「パラプレジックオリンピック」という愛称が大会関係者の間で使われていたといいます。

「パラリンピック」で開催したのは日本が初

公式に「パラリンピック」という名前で開催されたのは、実は1964年の東京で開催された大会が初めてだったんです。

パラリンピック開催に奔走した人物

大会実現に向けて尽力した人物がいました。日本パラリンピックの父・中村裕さんです。
大分県で医師をしていた中村さんは当時最先端のリハビリ技術を学ぶため、1960年にストーク・マンデビル病院に留学していました。

そこで、スポーツによるリハビリに感銘を受け、1964年の東京大会を日本における障害者スポーツ発展のための第一歩にしようと決意します。
順調にいけば1964年にストーク・マンデビル大会が東京で行われる予定のため、高村さんは発起人となり、大会準備委員会を立ち上げ、開催に向け奔走しました。

反対の声がたくさんあった

しかし、この大会を東京で開催することに反対の声もあったといいます。
必ずしも、世間や医療界の評価も良いものではありませんでした。
「せっかく良くなったのにまたスポーツして悪くなったらどうするんだ」とか「障害者を見世物にするのか」と言われていました。
みんなの前でスポーツ大会をするというのは、その頃の日本では考えられませんでした。

開催しないと国際的に恥ずかしいと主張

そこで中村さんは東京大会開催予定の2年前の1962年のストーク・マンデビル大会に自身の患者さん2人に参加してもらい、障害者でもスポーツはできるとアピールしたのです。
欧米に追いつけ追い越せの時代だったと思いますから、オリンピックの後にパラリンピックをやらないと国際的に恥ずかしいんだみたいな話を持っていったんじゃないかと思いますね。

ようやく実現

中村さんの熱意に押され、東京大会開催が正式決定しました。
中村さんをはじめ、準備委員会のメンバーはこの大会の名前を「パラリンピック」とし、公式に打ち出すことを決めたのです。

そして、11月8日、織田フィールドには参加22ヶ国の国旗が広がり、パラリンピックの開会式が始まりました。
東京オリンピック終了から15日後の東京パラリンピック開催、144種目およそ370人もの障害者の方々が参加しました。

一時「パラリンピック」が途絶える

しかし、東京大会以降、パラリンピックという名前はしばらく使われず、オリンピックと同じ年での開催も見送られてきました。

再び同じ都市で開催されたのは1988年のソウルこのとき、東京大会で初めて使われた「パラリンピック」の名前が国際オリンピック委員会に認められ正式名称になりました。
さらにパラリンピックの「パラ」はオリンピックと並行して行われるという意味の「パラレル」へと解釈が変更され、日本が大会名として初めて掲げたその名は以後継続して使われていくこととなったのです。

そして来年、パラリンピックは56年ぶりに東京に戻ってきます。

所感

もともと車椅子に乗っている人だけがリハビリのために参加する「ストーク・マンデビル大会」だったのが、年々大きな大会になり、今のパラリンピックに至るのですね。
毎年大会をやろうと試みた病院側の心意気が素敵だと思いました。

日本でパラリンピックを開催する時に起きた国民から反対の声が多かったと紹介された時「当然だわな」と思いました。
障害者を産んだだけで恥と思い、家に軟禁してペット同然の暮らしをさせるのが当たり前だった時代の日本でパラリンピックを開催しただけ奇跡だと思います。
相当な苦労があったと想像に難くありません。

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