「にほん」と「にっぽん」の差!どうして日本には2つの読みがあるの?『この差って何』 | 頑張ることをやめたら人生楽しくなった

「にほん」と「にっぽん」の差!どうして日本には2つの読みがあるの?『この差って何』

2019/8/20放送の『この差って何』。

街の皆さん1000人にアンケートをとり、以前放送して反響の大きかった「この差」の中から言われると気になるという声が特に多かった5つの差をランキング形式で発表していました。

今回は1位の 「日本」についてです。

“にほん”と“にっぽん”の差

日本郵政→”にっぽん”郵政
日本航空→”にほん”航空
日本大学→”にほん”大学
日本体育大学→”にっぽん”体育大学

このように”にほん”と言ったり”にっぽん”と言ったり読み方が混在しています。
なぜ日本には2つの読み方があるのでしょうか?

言葉や文字の由来などを研究している大東文化大学文学部准教授 山口洋二先生に聞いてみました。

もともとは“やまと”だった

まず、日本が自国のことを「日本」と表記するようになったのは飛鳥時代だというふうにいわれています。
ただし当時の日本人は、「にほん」や「にっぽん」ではなく「やまと」というふうに呼んでいました。

720年に完成した日本書をみてみると「日本(ひのもと)とかいてこれが『やまと』という」と確かに大和と呼んでいたことが書かれています。

“にっぽん”は中国語からきている

では、「やまと」からどうのようにして「にほん」や「にっぽん」と呼ばれるようになったのでしょうか?

平安時代になると、我が国は現在の中国ですけれども、当時は唐、遣唐使といいまして国交が盛んになっていきます。
そのとき中国の人たちはこの「日本」という感じの読み方を「ニエット・プァン」というふうに発音していました。

言葉の変遷が記されているの漢和辞典を見てみると、たしかに日の読み方は「niet(ニエット)」、本の読み方は「puən(プァン)」と書かれています。
当時、二つの文字をあわせて「ニエット・プァン」と呼んでいたことがわかります。

この「ニエット・プァン」と呼ぶ中国人の発音を聞いた日本人達が
「ニエット・プァン」→「にえぅぷぁん」→「にっぷぁん」→「にっぽん」
というふうに中国人の発音を真似て自分の国のことを「にっぽん」と呼ぶようになりました。

“にほん”は江戸っ子が生んだ

では、日本という呼び方はいつどのようにして生まれたのでしょうか?

「にっぽん」という呼び方が広まってくるのは江戸時代になってからだといわれております。

江戸時代の学者・本居宣長が国名の由来についてまとめた書物「国号考」があります。
これには「新たに日本という」と書かれており、江戸時代は「にほん」と呼ばれていたことがわかります。

なぜ「にほん」という読み方が生まれたかといいますと、実は早口な江戸っ子たちによって「にほん」という言葉が生まれました
「にほん」という呼び方はせっかちの江戸っ子たちが早口で日本と話すうちに「にっぽん」→「にふぉん」→「にほん」と徐々に簡略化されて生まれた呼び方なのです。

つまり大阪や京都など西の地域では「にっぽん」、江戸の中心とする東の地域では「にほん」と呼ばれていました。
ですので、大阪にある日本橋の読み方は「にっぽん橋」、一方東京にある日本橋の呼び方は「にほん橋」なのです。

“にほん” “にっぽん”論争の歴史

しかし昭和になると「国の呼び方が2つあるのはいかがなものか!」と「にほん」「にっぽん」論争が勃発します。

まずは1934年、昭和9年。
岡田啓介内閣のときに国の呼び方を「にっぽん」に統一しようという案が政府に提出されたのです。
ここではにっぽん統一案はまとまりませんでした。

さらに1970年、昭和45年。
佐藤栄作内閣のときに大阪万博開催を前に国の呼び名を再び「にっぽん」に統一しようと国会で議論されました。
ですが、ここでも結論は出ません。

麻生総理が論争に決着をつけた

しかし2009年、平成21年に麻生太郎内閣府のときにこの論争にようやく決着がつきました

国の呼び名を「にほん」と「にっぽん」のどちらにするのかを委員会で発言したのです。

「にほん」なんですか?
「にっぽん」なんですか?
外国人に正式な読み方を聞かれたときに「どっちでもいいんですよ」と答えるのは私たちの国だけですよ。
どっちなのですか?

そして正式に麻生総理に質問主意書を提出したのです。
この岩國衆議院議員の質問に対する麻生総理の弁辞書にはこう書かれています。

「にっぽん」または「にほん」という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えいる。

つまり国の読みは「にっぽん」と「にほん」どちらでもいいということになっています。

所感

「にっぽん」「にほん」論争にどちらでも良いという決着のつき方はとても日本人らしいですね。

言葉を学ぶことは歴史を学ぶことでもある。
最近そう考えるようになりました。

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