富士山の頂上は何県?『チコちゃんに叱られる!』

2019/11/1放送の『チコちゃんに叱られる!』
生駒里奈さん、奥田民生さんをゲストに迎えています。
チコちゃん「富士山の頂上は何県?」
なに県でもない。
教えてくださるのは、境界協会を主催し、日本地図センターの編集室長でもある小林先生です。
富士山頂には県境がない
都道府県・市区町村、それぞれ境はありますが、富士山の頂上部分は県境がありません。
地図帳を開けばあちこちに書かれている境ですが、富士山の頂上を見てみると、地図上では頂上付近に県境がありません。
富士山頂は神社の私有地!
実は富士山の8合目より上は私有地なのです。
気象観測所や山道などを除いた全ての土地が富士山本宮浅間大社の境内となっています。
そもそも富士山本宮浅間大社は古来より噴火を繰り返す富士山を鎮める目的で建てられました。
この神社に転機が訪れるのが江戸時代です。
関ヶ原が戦いに勝利し、天下人となった特川家康が関ヶ原勝利のお礼として神社の造営とともに富士山の8合目より上を神社に寄贈しました。
火口を賽銭箱と見立てて8合目より上を寄贈した
昔から富士講(富士山信仰)の方や修業者が富士山の火口に賽銭を投げる「散銭」という儀式をしてお祈りをしていました。
かつては富士山の火口の底に神様がいると信じられており、登山したものは火口に賽銭を投げ、お祈りをしていたのです。
賽銭箱は境内にありますよね?
つまり家康は火口を賽銭箱に見立てて賽銭箱の底、つまり火口の底がある8合目より上を神社の境内としたのです。
8合目以上の土地は神社の境内となっておりますので、山梨県のものでも静岡県のものでもありません。
大人の事情で県境を決めないまま
とはいえ、私有地とは関係なしに、県境はあるものです。
なぜ富士山頂の県境をずっと決めないのでしょうか?
実は県境を決めようととしたんですけど、折り合いがつかなかったのです。
実は1897年に県境を確定させるため当時の宮内省御料局が境界調査を実施したのです。
しかし、山梨と静岡の両県が富士山所有権を巡って譲らず、県境決定は破談になりました。
そして1951年に富士山頂の県境をめぐり、再び両県知事が話し合いました。
しかし、ここでも折り合いがつかず、富士山頂の県境を争わないことで一致しました。
ところが63年後、富士山の世界文化遺産登録を機に県境問題も再び注目されましたが、両県の間で県境が決まることはなく、富士山の頂上は今もなに県でもないのです。
県境がない場所は他にもある
このように県境がない場所が実は結構あります。
県境未確定地はなんと14地域あります。
さらに細かく見ると、およそ170の市区町村に協会に境界未確定地があります。
その中の一つ、東京駅のすぐ東側から銀座の横を通って浜離宮あたりまでの3.5kmほどが区境未確定土です。
ここはもともと江戸城の外堀だったのを埋めて土地を作ったのですが、そのときに境界線を決めませんでした。
そして建物が建ち、現在に至っています。
そして飲食店が並ぶ銀座のコリドー街のみんなが飲食を楽しむ場所も何区なのか決まっていません。
中には同じ建物内で住所が「中央区銀座」だったり「千代田区有楽町」だったりとこんなにも違います。
富士山に関する豆知識
江戸時代に初めて富士山登った女性はちょんまげをつけて男性のふりしてたらしいですよ。
ちなみに女性で初めて富士登山を成功させた方のお名前は「高山たつ」。
まさに高い山に初登頂するために生まれたお名前。
当時は女人禁制だったため、高山たつは男の格好して登山したとか。
あとがき
「富士山頂がなに県でもない」そして「神社の私有地である」ことは知っていました。
しかし、神社の私有地になった経緯までは知らなかったのですね。
徳川家康が関ヶ原の戦いの勝利のお礼として寄贈したものだと初めて知りました。
関ヶ原の戦いに富士山本宮浅間大社が関わっていたのでしょうか?
うーん、よくわからない…。

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