観光地のお土産はなぜペナントだった?『チコちゃんに叱られる!』

2019/11/8放送の『チコちゃんに叱られる!』
キムラ緑子さん、松本利夫(EXILE)さんをゲストに迎えています。
チコちゃん「観光地のお土産はなぜペナントだった?」
タオル屋さんが社運をかけたから
詳しく教えてくださるのは創業63年に鎌倉でタオル製造会社を営む間隆浩さんです。
公務員が一儲けしようと脱サラした
観光地のお土産の定番となったペナントは実は弊社が開発いたしました。
先代の社長だった父が、会社の社運をかけてペナントを開発いたしました。
かつて修学旅行生が夢中になったお土産が「ペナント」。
20代の脱サラ社長が苦悩の末にたどり着いた二等辺三角形です。
今からおよそ60年前の昭和31年。
終戦から10年がたち、復興の中で日本は活気を取り戻していきました。
裁判所に勤めていた公務員 間さん(先代社長)はこの復興の勢いに乗って一儲けしたいと思い公務員を辞めてしまいます。
目を付けたのは手ぬぐいに代わる庶民の必需品タオルでした。
妻の実家に土地を借りてタオル製造会社を創業しました。
資金もない。人脈もない。
とりあえず土地を借りて始めたって感じでした。
マスオさん状態だったんです。
しかし、考えが甘かった。
若輩者に金を貸してくれる銀行はなく、義理の父からお金を借りたこともありました。
倒産寸前まで来てしまい、先代社長は崖っぷちでした。
優勝旗からインスパイア
昭和33年、転機は意外なところから訪れました。
先代社長は野球が好きで大の巨人ファンでした。
この年、巨人に入団した長島重雄が新人王を獲得し、チームは黄金期を迎えようとしていました。
気分転換で球場に足を運んだ勇の目にパックスクリーンにたなびく旗が飛び込んできました。
優勝チームだけに与えられる勝利の証でした。
先代社長はそれを見て、このペナントに観光地の絵柄を入れたら売れるんじゃないかなと思ったそうです。
会社と家族の運命がかかったペナントの絵柄を何にするか悩みましたが、日本復興のシンボルである完成間近の東京タワーを入れることにしました。
こうして観光地のペナント第1号の絵柄は東京タワーに決まりました。
先代の読みは当たり、観光地のペナントは大ヒット!
個人がほとんどカメラを持っていなかった時代でしたのでペナントを見ると旅の思い出が鮮明に蘇ります。
さらに高度経済成長期となり日本に観光ブームが訪れます。
各地のペナントを量産し、売れに売れまくったのです。
ペナントでつかんだ崖っぷちからの大逆転を果たしました。
時代の流れとともにペナントは姿を消した
かつて日本中の子ども部屋を彩ったペナント。
しかし、誕生から60年、土産物屋から姿を消しました。
旅の風景を残す手段はペナントからカメラ、スマホへ引き継がれてきました。
売れなくなった理由(諸説あり)
- 本来ペナントは「自分で飾って楽しむお土産」だったが、「もらうと困るお土産」というマイナスイメージがついてしまった。
- 家の壁がど壁からクロスに変わったから など
あとがき
ペナントがお土産店で売られるのを見たことはありますが、実際に購入したりもらったりしたことはありません。
お土産といえばストラップ。そんな世代でした。
売れなくなった理由にストラップがあげられませんでしたが、わたしは携帯電話の登場でストラップが流行したことでペナントが売れなくなってしまったのではないかと考えていました。
ペナントが流行した背景に個人がカメラを持たない時代だったと知り納得しました。
携帯電話+ストラップの登場で圧されてしまったかもしれませんね。

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