時代劇の「時代」ってなに?『チコちゃんに叱られる!』

2019/11/15放送の『チコちゃんに叱られる!』
若村麻由美さん、国分太一さん(TOKIO)をゲストに迎えています。

チコちゃん「時代劇の『時代』ってなに?」

新しい時代を切り開くという意味の「時代」

詳しく教えてくださるのは、時代劇研究家の春日太一さんです。

時代劇=新しい表現

「時代劇」は「古臭いもの」と思われがちですが、実はその正反対で「新しい表現」という位置づけの言葉です。

そもそも日本で初めて映画が撮影されたのは1899年(明治32年)です。
舞台演劇をそのまま映す形で始まりました。

当初、日本映画は大きく二つのジャンルに分かれていました。
一つは「旧劇映画」といい、歌舞伎や講談などの物語を扱ったものです。
もう一つは「新劇映画」といい、海外作品や当時の現代劇・人気文学作品を扱っていました。

そのほか、新劇映画は欧米などの影響を受け、カメラワークやカット割りなど、映画ならではの撮影の仕方を取り入れて進化しました。
しかし一方の旧劇映画は昔ながらの作り方から抜け出せず、時代遅れ古臭いと批判され始めていました。

そんな状況を脱却しようとする動きが起こります。
これを主導したのが野村芳亭監督と脚本家の伊藤大介でした。

監督の野村芳亭は、当時の松竹蒲田撮影所の所長であり、松竹で初めてヒットになった新劇映画を手がけた監督です。
脚本家伊藤大介は後に監督としても活躍し「時代劇の父」とも呼ばれた人物でした。

松竹蒲田撮影所舞台で野村と伊藤による新劇映画革命が巻き起こるのです。

旧劇映画から時代劇ができるまで

カット割り・撮影方法を変えた

旧劇映画が古臭いと思った野村は自ら監督となり、新劇映画っぽく取ろうと考えて伊藤とともに新しい旧劇映画作りをスタートしました。
まず2人がこだわったのはカット割りです。

当時の映画は無声でした。
そのため物語の進行やセリフは全て「弁士」という語り手が映像に合わせて行っていました。
旧劇映画では弁士が語りやすいように広いサイズでカメラを固定し、ワンカットを長く撮影していました。

2人はそんな旧劇映画の慣例を打ち破ろうとしたのです。
野村と伊藤はカットの割り方・撮影方法を工夫しました。

女役を女性を起用した

さらに野村たちがこだわったのがキャスティングです。
旧劇映画は、歌舞伎など古くから続く舞台演劇の伝統のまま女役は女形、つまり男性が演じていました。

しかし、2人は旧劇映画の慣例を破り、女役に女性を起用しました。
歌舞伎出身の役者たちの反発があったかどうかは定かではありませんが、野村の映画の出演者には新劇出身の役者が名を連ねました。

センセーショナルだと反響を呼ぶ

こうして1922年に新時代劇『清水の次郎長』が公開されました。
細かいカット割りに弁士たちの呼吸が合わずの奇妙な間ができたり、新劇の役者が演じたり、これまでの旧劇と違うことに賛否ありましたが、『清水の次郎長』はセンセーショナルな反響を呼びました。

さらに翌年、野村と伊藤は『女と海賊』を製作しました。
以後「新時代劇」転じて 「時代劇」になって次々と作られていくようになりました。

多くのスターと名作が生まれた

旧劇映画が歌舞伎などの物語をなぞっただけだったとは違い、時代劇作品は作られた時代時代の社会的・現代的テーマを盛り込み支持を得ていくのです。

例えば1928年公開の『浪人街』。
当時は国家権力による厳しい規制があった時代でした。
映画の中で圧倒的権力者である武士に対し、必死に立ち向かう浪人たちの姿を自分たちに重ね合わせて観客たちは拍手喝采でした。

こうして時代劇は大正から昭和にかけて日本映画ドラマを代表するジャンルとして確立していきます。
多くのスターと名作を生んでいったのです。

「時代劇」というのはただの過去の再現劇ではありません。
新しい表現であり、それから現代的なテーマであり、そういったものを込めて初めて「時代劇」であるといえます。
野村と伊藤が作った第一歩がこの新しい表現の時代を切り開いていったのです。

あとがき

「時代劇」は頭がちょんまげで腰に刀をぶら下げている時代のことを指していると思っていました…!
新しい時代を切り開くという意味であれば、侍時代のドラマを「時代劇」と呼ぶのはふさわしくないのではないでしょうか?
むしろ現代の問題を取り込んで流している今のドラマを「時代劇」と呼ぶべきかもしれません。

それでも今だに侍時代を「時代劇」と呼び続けるのはなぜでしょうか?
ググってみました。

Google先生がそう言っているのだからしょうがない。

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