『第九』は自由・平和・博愛の精神の交響曲 〜ベートーベンが伝えたかったこと〜『世界一受けたい授業』 | 頑張ることをやめたら人生楽しくなった

『第九』は自由・平和・博愛の精神の交響曲 〜ベートーベンが伝えたかったこと〜『世界一受けたい授業』

2019/12/7放送の『世界一受けたい授業』。
番組が選んだ日本の8つのウソ。あなたは実は騙されている!?

あなたはダマされている『第九』のウソ。


12月になると日本各地で盛んに演奏され、年末の風物詩ともいえるベートーベン『第九』。
そんな誰もが耳にしたことがある『第九』ですが、「『第九』=年末」のというのはウソです。

実は年末でこれほど頻繁に演奏会が開かれるのは日本だけ。
海外では自由と平和の象徴として時期は関係なく年中行事などの特別な機会に演奏されることが多いのです。

例えば1985年6月のEU首脳会議で『第九』が「EUの歌」として承認され、EUの公式行事などでも演奏されています。
1964年10月の東京オリンピックで当時に分裂状態だった東西ドイツが合同チームで参加したとき表彰式で国家の代わりに『第九』が使われました。

実は皆さんおなじみのCDはベートーベンの『第九』と大きな関係があるのです。
CD開発当時、60分記録できる直径11.5cmと74分記録できる直径12cmで意見が分かれていました。
そこで、演奏時間がおよそ70分の『第九』が1枚のディスクに記録できた方がいいだろう、という理由で74分記録できる直径12 cmのCDに決まったといいます。

『第九』について教えてくれるのは玉川大学芸術学部教授で指揮者の野本先生です。

ベートーベン最後の交響曲『第九』

そもそも『第九』とはドイツの作曲家ベートーベンの9番目にして最後の交響曲です。
正式なタイトルは『交響曲第9番 ニ短調 作品125 [合唱付]』。

ベートーベンは20代後半から耳が聞こえづらくなり、40歳を過ぎた頃にはほぼ耳が聞こえませんでした。
『第九』を作曲したのは54歳、つまり耳が聞こえない状態で作曲したものです。

『第九』が初めて演奏されたときベートーベンはステージに立っていました。
終演後に客席からの割れんばかりの拍手に気づかず、出演者に後ろを見るように促されて初めて客席の熱狂を知ったといいます。

『第九』は非常識だらけだった

そんなクラシック史上最大のヒット曲ともいわれる『第九』はそれまでの常識を打ち破ることだらけでした。

そもそも交響曲とはオーケストラのための音楽であり、楽器だけで演奏されるものです。
しかしベートーベンの『第九』は4人の独唱者や合唱者の歌が入っていて、当時の交響曲としては異例なことでした。

さらに、交響曲の演奏時間が通常30分程度ですが、『第九』はおよそ70分でこれも異例の長さです。

『第九』は「歓喜の歌」ではない

『第九』といえば「歓喜の歌」として知られていますが、これはウソです。

そもそも『第九』とは一般的な交響曲と同様、第1楽章から第4楽章まであります。
『第九』の第1楽章から第3楽章までは歌詞がなく、オーケストラ演奏だけです。

「歓喜の歌」はみなさんが良く耳にする合唱がある第4楽章のことです。
第4楽章「歓喜の歌」の歌詞はドイツ人シラー作『歓喜に寄せて』の一部を抜粋して並べ替えたものなのです。

合唱部分を訳すと…

Freude, schöner  Götterfunken,
(歓喜よ、神々の美しい閃光よ、)

Tochter aus Elysium,
(楽園の娘よ、)

wir betreten feuertrunken,
(我らは火のように酔いしれて、)

Himmlische, dein Heiligtum!
(天使よ、お前の正殿に足を踏み入れよう!)

Deine Zauber binden wieder,
(お前の神秘的な力が再び結びつける)

was die Mode streng geteilt;
(この世の慣わしが厳格に分け隔てていたものを。)

alle Menschen werden Brüder,
(すべての人々が、皆兄弟となる。)

wo dein sanfter flügel weilt.
(お前の優しい片翼が、しばしとどまるとき。)

第4楽章「歓喜の歌」合唱部分

シラー作『歓喜に寄せて』をざっくりまとめると、
「社会の不平等や争いをなくしてすべての人々が平等で自由な世界を」
という自由・平等・博愛の精神が歌われているのです。

第4楽章こそがベートーベンが伝えたかったこと

そんな「歓喜の歌」の冒頭にはベートーベン自作の歌詞があります。
この歌詞には「私が伝えたかったのはこのような調べ(旋律)ではない」と民衆に訴えています。

つまり、第1楽章から第3楽章はなかったことにしてくださいと否定しています。
そしてこれから始まる第4楽章こそが本当に伝えたいことだと歌っています。

第1楽章はざっくりいうとはやや暗めで演奏時間は約18分です。
第2楽章は演奏時間がおよそ12分で怒りが爆発したような感じです。
ドラマの衝撃なんかの場面でもよく使われています。

第3楽章はちょっと心が落ち着いた感じがしますね。
演奏時間はおよそ17分です。

第1楽章から第3楽章まで45分ぐらいかかっています。
その後に第4楽章「歓喜の歌」が始まるのです。

O Freunde, 
(おお友よ、)

nicht diese Töne!
(このような調べではなく)

sondern laßt uns angenehmere anstimmen,
(もっと心地よい調べを歌い始めよう。)

Freude, Freude!
(歓喜よ、歓喜よ!)

第4楽章「歓喜の歌」冒頭、ベートーベン自作の歌詞

この歌が終わりますとおなじみの合唱が始まります。

結局ベートーベンの人生を表しているといえるかもしれませんね。
ベートーベンは音楽家でありながら耳がどんどん聞こえなくなってしまいました。

その苦悩や苦痛を乗り越えた末に喜びがつかめるという音楽だったかもしれません。

年末の『第九』はラジオがきっかけ

『第九』がなぜ日本では年末に演奏されるようになったのでしょうか?

年末の『第九』が日本で定着した理由は諸説ありますが、1940年の大晦日に新交響楽団の指揮者だったローゼンシュトック指揮による『第九』をラジオで全国放送したのがきっかけで年末の『第九』が急速に広まったといわれています。

日本で『第九』を初めて演奏したのはドイツ兵捕虜だった

そもそも『第九』が日本で初めて演奏されたのはドイツ兵捕虜でした。
1914年に始まった第1次世界大戦、日独戦争で敗れたドイツ兵のうちおよそ1000人が徳島県の板東俘虜収容所に捕虜として収容されました。

板東俘虜収容所は各地の収容所の中でも可能な限りの自主的な活動が許されていました。
これは収容所の所長である松江豊寿大佐による方針でした。
「彼らも祖国のために誇りを持って戦ったのだから敬意を持って接しなくてはだめだ」と極めて人道的な対応をとったのです。

捕虜たちは遠足や海水浴を楽しんだりテニスやサッカー、組体操といったスポーツ活動のための運動場作りも許可されました。
中でも音楽活動は盛んで、オーケストラ合唱団などが結成され、定期的に演奏会も開催されていました。

そして1918年6月1日に定期演奏会で披露されました。
日本で初めて演奏された『第九』です。

戦争の真っ只中に歌われた自由と平和の象徴『第九』。
まさにベートーベンが伝えたかった自由・平和・博愛の精神があるのです。

あとがき

『第九』の「歓喜の歌」よくききますよね。
でも意味は全然わかっていなかったんですよね。

実を言うと翻訳された歌詞を見てもさっぱりわかりませんでした…。
ただ、「社会の不平等や争いをなくしてすべての人々が平等で自由な世界を」とざっくりまとめてくれたお蔭で「歓喜の歌」は自由・平等・博愛の精神が歌われていることがようやくわかりました。

こうしてちゃんと意味や日本に伝わった経緯を知ると『第九』により感情移入して聴けそうです。

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