凧揚げはなぜ「たこ」なの?『チコちゃんに叱られる!』

2020/01/04放送の『チコちゃんに叱られる!』
堺正章さん、長谷川博己さん、門脇麦さんをゲストに迎えています。
チコちゃん「凧揚げはなぜ『たこ』なの?」
イカが禁止されたから
詳しく教えてくださるのは、日本の民俗学に詳しい法政大学の長沢利明教員です。
元々は「いかのぼり」と呼ばれていた
実は、たこあげのたこは昔はいか・いかのぼりと呼ばれていました。
たこの起源は紀元前4世紀頃の中国で使われていた紙鳶(しえん)といわれています。
戦のときに遠くの味方に合図を送る目的で使っていたもので、怪しまれないように野鳥に似せた形をしていました。
その後、平安時代に日本に伝わった紙鳶は魔物や病気などが風に乗ってくるのを追い払う「厄払い」の道具として使われます。
それが転じて縁起物になり、全国に広まって月日と共に様々な形のものが生まれました。
江戸では空中でバランスを取れるようにするため、2本の長い紙や糸のついたものが多く使われるようになります。
ひらひらと足のようなものがついていたこの形があたかも海のいかのように見えたわけですね。
だから、江戸時代にはこれを「いか」あるいは「紙鳶(いかのぼり)」と呼んでいました。
そしてそれが大流行したんです。
江戸時代、いかのぼりは子どもだけでなく、大人の遊びとして楽しまれました。
お正月に限らず、日常的な娯楽の一つだったのです。
大ブームだったいかのぼりですが、これが原因で様々なトラブルも起こりました。
江戸では大問題となり、これがきっかけでたこが生まれたのです。
社会問題がおきて「いかのぼり」が禁じられた
正保3年の江戸時代、大ブームのいかのぼりはしばしば上空で接触し、これが原因で喧嘩が多発していました。
さらに落下したいかのぼりが当たり、怪我人や死者が出る事態も出ており、当時の社会問題になっていました。
そしてさらなる大騒動が起こります。
正保3年3月25日に火のついたたこのぼりが江戸城にに落下したのです。
テロなのか事故なのかはわかりませんが、大事には至らず、結局犯人もわからずじまいでした。
この事態に、江戸幕府は町奉行を通じていかのぼり禁止令を発令しました。
いかのぼり怪我人や死人が出るという一大事に加え、テロともいえるような江戸城への攻撃が行われたらしいということで幕府も対策をせざるを得なくなったのです。
屁理屈で生まれた「たこのぼり」
そこで「いかが禁止だったらば、たこを揚げてしまえばいいんだ」と江戸の庶民たちは屁理屈を思いついたわけです。
庶民の屁理屈から生まれた たこ・たこのぼり は同じように流行することになりました。
しかし、たこになっても、揉め事は同じように起こり、「いかのぼり禁止令」の10年後、「たこのぼり禁止令」が発令されました。
この禁止令を庶民は無視し続けます。
江戸では様々な禁止令があったため、奉行は多少のことには目をつぶっていたそうです。
年中楽しまれていた凧揚げがお正月には家内安全、商売繁盛を祈願してあげられ、その習慣が現在も残っていると考えられています。
あとがき
たこに見えないので長年不思議に思っていましたが、元々はいかと呼ばれていたこと、禁止令が発令されて屁理屈で「たこ」と呼ぶようになったことを知って納得しました。
「たこのぼり」から「たこあげ」に変化した理由を知りたかったのですが、その説明がありませんでしたので残念でした。
そしてこの記事を書いていて気づいたことですが、「いかのぼり」を変換すると「凧」という漢字になります。
この事実にさらに驚きました。

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