中国地方の「中国」ってなに?『チコちゃんに叱られる!』

2020/01/04放送の『チコちゃんに叱られる!』
堺正章さん、長谷川博己さん、門脇麦さんをゲストに迎えています。

中国地方の『中国』ってなに?

中間の国という意味

詳しく教えてくださるのは、日本の歴史に詳しい国際日本文化研究センターの井上教授です。

「中国地方」が生まれたのは奈良時代

中国地方の中国は「中間の国」という意味です。
今の中華人民共和国とは関係がありません

「中国地方」という呼び方が生まれたのは、今から1000年以上前の奈良時代です。

当時は「五畿七道」という地域の呼び方がすでに存在していましたが、この五畿七道とは別に別に京都からの距離によっても地域の呼び方がざっくりと分かれていたと先生はおっしゃいます。

今でいう奈良・京都南部・大阪・兵庫南東部を「畿内」と呼んでいました。
畿内から近いところを「近国(きんごく)」、遠いところを「遠国(おんごく)」、近国と遠国の間の中間の国を「中国」と呼んだのです。

機内から現在の岡山県岡山市くらいまでの比較的近いこの地域のことも「近国」、
「遠国」が現在の島根・広島の一部・山口・愛媛・高知、そして九州一帯を含む畿内から遠いこの地域を指します。

そして中国は近国と遠国の中間に位置するこの地域、つまり現在の鳥取・島根・岡山・広島のそれぞれ一部と香川・福島辺りを指していました。

北九州と畿内を結ぶ道が「中国」となった

しかし、今で言う中国地方は鳥取・島根・岡山・広島・山口の5県のことです。
なぜ現在の中国地方はこの5県を指すようになったのでしょうか?

奈良から平安時代にかけて遠国の九州は東アジアとの貿易の窓口であった太宰府を中心に商業が栄えていました。
そのため近国と遠国である九州とを結ぶ通り道の山陽道や山陰道は人が絶えずに行き来していました。

先生によれば、この通り道は中国を通ることから「中国路」と呼ばれ、やがて「中国」という言葉だけが残り 今の5県があるこの一帯を中国地方と呼ぶようになったそうです。

中国といえばかの有名な「中国返し」

秀吉が信長の命令で中国の大名である毛利氏と対決していたその時、明智光秀が信長を襲撃した「本能寺の変」が勃発します。

主君が死亡したという知らせを聞いた秀吉は毛利氏との講和をいち早くまとめて信長の仇を討つため2万もの軍勢を引き連れてわずか10日とも8日ともいわれる日数で中国から京都へおよそ200kmの道のりを追って返すのです。

これがかの有名な「中国大返し」です。

昔は東側にも中国があった

実は近国・遠国・中国という呼び方は都の西側だけでなく、東にもありました。
つまり、現在の福井の一部、岐阜の一部、そして石川・富山・長野・山梨・静岡といった県も昔は中国だったのです。

なぜ今は東側は中国ではなくなったかは理由がわかっていません。

あとがき

なぜ東側の中国がなくなって西側の中国が残ったのか?
それは秀吉の「中国大返し」があったから残ったのではないかと勝手に予想しています。
(※根拠はありません。ただそう思っただけです)

あるいは都を京都から江戸に移したことから東側から「中国」という呼び名がなくなったのかもしれません。

近畿と中国は奈良時代の呼び名が少し変わって今も残っているということで少し感慨深いですね。

遠国・近国・中国という呼び名がすごく気に入りました。
ファンタジーの世界でよく使われる呼び名だった気がします

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