なぜ日本語ではなく国語というの?『チコちゃんに叱られる!』

2020/01/10放送の『チコちゃんに叱られる!』
島崎和歌子さん、森山直太朗さんをゲストに迎えています。

チコちゃん「なぜ日本語ではなく国語というの?」

日本を1つにするため

詳しく教えてくださるのは、日本女子大学で近代日本語について教えている清水康行教授です。

江戸時代に標準語はなかった

少し思い切った答えですが、日本語の授業を国語というのは日本を1つにするためです。

話は江戸時代にさかのぼります。
日本はそれぞれの大名が支配する独立国の集まりが300近くあるような状態でした。

さらに場所によって言葉がバラバラです。
江戸時代に共通語は存在しません
国から出ずに一生を終える人も多く、人々は「おくにことば」だけで何不自由なく生きていけたのです。

幕末の頃になるといろんな地方から集まってくる人の間でお喋りをするとずいぶん違う言葉なのでよくわからなかったと記録があります。

さらに言葉が通じなかったというこんな例もあります。
戊辰戦争で伊藤博文が山形の武士を取り調べするときに言葉が通じないので「問う 年 如何に?」と単語を並べて質問したとか…。
また東西の人が縁談の相談をするときに言葉が通じないので語尾に「○○候」をつける書き言葉で話をした…などの記録も残っています。

現に今でも青森と鹿児島では随分と言葉が違いますよね。

明治時代に国を1つにするために「国語」が作られた

江戸時代は現在のようにテレビやラジオはありません。
普段使っている言葉を疑うことなく話していた日本人にとって共通の言葉がどうしても必要となる時代が訪れます。

明治時代となり、日本は中央政府が全国を治めることになりました。
日本の1つの国にまとめ上げるためには誰もが共通して理解できる1つの言葉 すなわち 標準語が必要だという声が明治20年代後半に高まっていきます。

その中で日本を1つの国にするための言葉を「国語」と呼ぶようになり、それを教える授業は「国語」となったそうです。

なぜ「国語」だったのでしょうか?

それは言ったもん勝ちだったのですね。
ある程度以上多くの人が言うようになればそれが正しい言葉になります。

東京帝国大学文学部長を務めた上田万年が「国語」という言葉を使い、日本の発展には言葉が重要だと言ったことも大きなきっかけとなったそうです。

標準語を東京の言葉にするか京都の言葉にするかで大モメ

標準語を決めるときに全国には色々な方言があるのでその方言がどうなっているかを調査し、そこから標準的な言語を選んでいこうということになりました。
どこの地域の言葉を標準語にするべきか、政府は専門の委員を作り、全国の言葉を徹底調査しました。

そして首都・東京の言葉長く日本の中心だった京都の言葉か 2つの候補にに絞られました。
しかし、そこからなかなか結論が出ませんでした。

その点は、幕末の頃に20歳ぐらいだった人が「京都が都だった」という意識が捨てきれなかったのです。
若い人たちは東京一本でいいと委員会の中でどちらにするかかなり議論がありました。

東京か京都か決着がつかないまま時は10年以上流れ、「標準語は京都の言葉にすべきだ」と主張していた京都派の高齢者が亡くなっていったこともあり、明治37年に標準語問題に一応の決着がつきます。
東京の教育ある人々の言語を標準語とし、それを子供たちに教えることが決まったのです。

しかし、ひょっとしたら標準語は京都弁になっていたかもしれません。
こうして日本語は「国語」と呼ばれ、みんなが同じ言葉を理解できるようになったのです。

書く文字について

「国語」という言葉を決める際に書く文字もどうしようかと議論になりました。

例えば「漢字を使わない」「全てローマ字にする」などとする案もあったそうです。
採用されなかったのは既に国民の多くが漢字やひらがなを使っていたので使用を止めると逆に混乱するのではないかという意見があったからだといわれています。

あとがき

日本では日本語の授業を「国語」といっていますが、他の国ではどうなのでしょうか?
英語なら「English」ですかね?
1分くらい調べてみましたが、よくわかりませんでした。

さておき、標準語が東京の言葉に決定した経過を見ていて、いつの時代も新しい文化を作るのは若者だなと思いました。
年配者は輝いていた過去を捨てきれずにこだわり続けて若者にあれこれ難癖を付けますが、これからの時代を担う若者をもう少し信じてやってほしいものです。

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