なぜ肉屋さんでコロッケを売っているの?『チコちゃんに叱られる!』

2020/01/31放送の『チコちゃんに叱られる!』
泉 里香さん、久保田 利伸さんをゲストに迎えています。

チコちゃん「なぜ肉屋さんでコロッケを売っているの?」

洋食のコックさんがお肉屋さんに転職したから

詳しく教えてくださるのは、創業93年、東京銀座のお肉屋さんの3代目 阿部光雄さんです。

お肉屋さんで最初にコロッケを売った人は清六さん

お肉屋さんでコロッケを売り出したのはうちの店が最初だと聞いています。

元々コックをやっていた私のおじいちゃんが肉屋に転職して、コロッケを売り始めたからなのです。
そのおじいちゃんが阿部清六さんです。

このおじいちゃんの執念が肉屋でコロッケを売るきっかけになったんだと思います。

お肉屋さんでコロッケを売り出すまで

コックを目指して上京した清六さん

今からおよそ100年前。
たった1人で千葉の銚子から上京した清六さんはコックの見習いとして都内のの洋食屋さんで働いていました。

当時、コロッケはジャガイモを使って家庭で作られることもありましたが、洋食屋さんで出されるクリームコロッケは高級で庶民には手が届かないご馳走でした。
そこで清六さんは洋食屋さんでも出せる美味しいジャガイモのコロッケを作ろうと開発を始めました。

庶民でも食べられる安くて美味しいコロッケを開発した

清六さんが2年かけて作った安くて美味しいコロッケができました。
ジャガイモとひき肉使ったコロッケは晴れて店のメニューにも採用されました。

「いつか自分の店を持ったら安くておいしいコロッケを看板メニューにしよう」

関東大震災をきっかけにお肉屋さんに転職

しかし、そんな清六さんの思いを打ち砕く出来事が起きます。
関東大震災で清六さんが働いていた洋食屋さんも崩壊しました。

全てを失ってしまった清六さんは当時比較的復興が早かったお肉屋さんで働き始めたのです。
コックからお肉屋さんの予期せぬ転職でした。

そしてコツコツ働くこと3年、清六さんはようやく300円を貯めることができました。
(当時の労働者世帯の平均月収 約100円)

清六さんは洋食展をもちたかったのですが、洋食屋さんを開店するにはテーブル、食器、従業員など多額の資金が必要になります。
そこで清六さんは洋食屋さんではなく、小さなお肉屋さんを始めることにしたのです。

お肉屋さんでコロッケやオムライスを売り始めた

清六さんはお肉屋さんでお肉を売る側でコロッケやオムライスも売り始めたのです。
頼まれればカレーライスも作ったそうです。
開店当時の写真を見ると店先には「コロッケ」の張り紙があり、その隣にはオムレツの文字もありました。

こうして1人の諦めの悪い男がお肉屋さんでコロッケを売り始めたのです。
すると、お客様がたくさん買いに来てくださってかなりの長蛇の列を作りました。
つり銭が間に合わないので「お金をぴったり出してくれ」と頼んで売っていたそうです。

安くて美味しいコロッケが大評判になった

清六さんのコロッケはクリームコロッケの8分の1ほどの値段で安くて美味しいとたちまち評判になりました。

さらに安くて美味しいコロッケを大勢の方に食べてもらいたいという気持ちが強かったので、コロッケの作り方を同業のお肉屋さんにも全部教えて公表しちゃったのです。
こうして安くて美味しいコロッケは日本中のお肉屋さんの間に広まり、各地で売れに売れたのです。

1人諦めの悪い男によって日本は肉屋さんでコロッケを売っている不思議な国になったのです。

晩年まで肉屋さんの店頭でコロッケを上げ続けた清六さん。
その服装はいつもYシャツにネクタイ。
決してコックの誇りを忘れることはありませんでした。

あとがき

お肉屋さんがコロッケを売るとうい不思議な光景に子供の頃から不思議に思っていました。
売れ残った肉を処分するのがもったいないからコロッケにして売りに出しているのだと考えて無理やり納得していましたが、全然違いましたね。

実際は感動的なストーリーが隠れていましたね。
庶民が安くて美味しいコロッケを食べられるようにしたい!というような夢が将来大きく展開して全国に広まって文化として残っていくのですね。
金儲けしか考えていなかったらここまで残らないでしょうね。

「人のために自分にできることをする」
簡単なようで難しいことですが、意識して生きていこうと思いました。

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