段ボールの「段」ってなに?『チコちゃんに叱られる!』

2020/2/7放送の『チコちゃんに叱られる!』
草笛 光子さん、滝藤 賢一さんをゲストに迎えています。
チコちゃん「段ボールの『段』ってなに?」
井上さんが段々だと思ったから「段」
詳しく教えてくださるのは、段ボールを作っているメーカーの広報部長 後藤さんです。
Paperboardがペーパーボールに聞こえた
段ボールは基本的に厚い紙3枚でできています。
平らな厚紙2枚で波形の厚紙を挟んでいる構造です。
この1枚の厚紙は「板のように厚くて丈夫な紙」という意味で、英語では“Paperboard(ペーパーボード)”と呼ばれています。
明治時代に日本に伝わった頃に“board”の発音が「ボール」と聞こえてしまったため、日本ではこの厚紙のことをボール紙と呼ぶようになりました。
明治時代では「なまこ紙」と呼ばれていた
段ボールはボール紙で作られているので「段 ボール」なのです。
段ボールを真横から見ると三角形が連続しています。
この三角形の連なりを「トラス構造」といい、構造物がとても頑丈になります。
例えば紙を四角形と三角形にして丈夫さを比較してみると四角形は指で押すと簡単に変形しますが、三角形は変形しづらいです。
同じ材質でも三角にすると頑丈になるので、トラス構造は東京タワーや東京スカイツリー、陸橋などにも使われています。
このトラス構造は外からの衝撃に強いです。
そこで波形と1枚のボール紙を貼り合わせたものが1870年代からアメリカでガラス製品などの包装に使われ始め、日本では明治時代「なまこ紙」と呼ばれていました。
形状がなまこに似ていることから「なまこ紙」になったのではないかといわれています。
なまこ紙と呼ばれていたものを我が社の創業者 井上貞治郎が「段ボール」と名付けました。
井上貞治郎が「段ボール」と名付けた
井上貞治郎は後に「日本の段ボールの父」と呼ばれる人物です。
井上の人生はまさに波乱万丈であの森繁久弥さん主演でドラマ化もされたほどです。
果たして井上貞治郎の波乱万丈の人生とは?
奉公にでるも上手くいかず職を転々とする
1881年、兵庫県姫路市の農家に生まれた井上貞治郎は小学校卒業後神戸へ奉公に出ます。
奉公先の商屋での仕事は長くは続かず、その後 職を転々します。
散髪屋さんやパン屋さんなどなど転職は14年間で30数回に及びました。
その間、住まいを転々とし、満州にまでおよびましたが、どの仕事も失敗しました。
長い流浪の日々を経て帰国し、28歳になった井上はこのままではいけないと考えました。
国産のなまこ紙を開発
そこで貞治郎が目を付けたのは、まだ国産のものがなかったなまこ紙でした。
明治時代に使われていたナ海外製のなまこ紙は実は非常に高価で日本ではあまり普及しませんでした。
良いなまこ紙ができれば絶対に売れると井上は睨んで独学で包装紙作りを始めました。
そこで、なまこ紙を作るオリジナルの製造機を作り何度も試作品を作りました。
しかし、波が均等にならずでこぼこになってしまう、波形になってもすぐぺしゃんこに潰れてしまう等、悪戦苦闘が続きました。
ようやく辿り着いたのはボール紙を湿らせそれを七輪の列であぶりながら型をつけるという方法です。
こうしてついに日本で初めて良質ななまこ紙が完成しました。
これをいざ売ろうとする時に井上は「今までと全く違う製品だ」ということを印象付けるためにあえて違う名前を考えました。
語呂が良く見た目が段々ということで「段ボール」と名付けたそうです。
国産初の段ボールはすぐに評判になりました。
やがて「香水の瓶を入れる箱を作ってほしい」という依頼が舞い込み、「段ボール箱」作りが始まります。
外国では1890年代には既にあった段ボール箱ですが、井上はボール紙を両面に貼り見よう見まねで完成させ、これが大評判となりました。
国産段ボールは飛ぶように売れました。
こうして段ボール箱は全国に普及し、井上の会社は段ボールの製造販売日本一になり、全世界に工場を100以上も持つ会社へと成長したのです。
あとがき
段々に見えるから「段」って納得いかないなぁ…
『国語』の時と同じで、言ったもん勝ちみたいな感じがありますね。
さておき、職がうまくいかずに点々としていた人が、段ボールに着目して一人で開発して成功してしまうなんて人生どうなるかわかりませんねぇ!

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