なぜ浴槽のことを湯船というの?『チコちゃんに叱られる!』 | 頑張ることをやめたら人生楽しくなった

なぜ浴槽のことを湯船というの?『チコちゃんに叱られる!』

2020/2/14放送の『チコちゃんに叱られる!』
前田 敦子さん、土田 晃之さんをゲストに迎えています。

チコちゃん「なぜ浴槽のことを湯船というの?」

湯船という船があったから

詳しく教えてくださるのは、庶民文化研究科の町田 忍さんです。

江戸時代には湯を積んだ船があった

「湯船」というのは江戸時代に船の内部に浴槽を作り、岸や川筋に漕ぎ寄せて入浴させていた「船」のことです。
「湯を積んだ船」ということから「湯船」と呼ばれていました。
その船自体は残ってませんが、絵なら現代でも残っています。

江戸時代の船の図鑑『和漢船用集』に描かれていた湯船は、全長がおよそ10メートルで中央に小屋を置いてその中にお風呂があったそうです。
小屋からは湯気が漏れ、お風呂に入ろうとする裸の人も描かれていました。

湯船は江戸時代に誕生した

なぜ湯船はできたのでしょうか?

庶民のために「銭湯」が生まれた

この江戸時代の町では水道の整理が不十分で、自宅にお風呂があるのは上級武士だけでした。

当時の庶民のために生まれたのが銭湯です。

最初に登場したのが、「戸棚風呂」という蒸し風呂でした。
湯に浸からない、完全に今のサウナと同じです。
しかし、たくさんの人がいっぺんには入れないという欠点がありました。

そこで多くの人が同時に入れる今の銭湯に近い浴槽のあるお風呂が作られます。

郊外に住む人々のために「湯船」が生まれた

浴槽のある銭湯はは都心部に集中しており、郊外に暮らす人々はなかなか行けません。
そんな郊外の人のために作られたのが、船の上に浴槽を載せた移動式の銭湯「湯船」です。

当時の江戸の町は地方から海産物や木材などを積んだ船が行き来するため、街には運河や水路が巡らされており、湯船は至る所で商売をしていました。

江戸時代 最盛期に銭湯は約570軒、湯船は約100軒ぐらいありました。
この湯船は郊外の人たちにかなり人気が高かったそうです。

さらに料金が陸の銭湯が8文(現在約160円)でしたが、湯船は大体その半分の4文(現在約80円)といわれていました。
湯船は構造がシンプルで維持費がかからず、さらに川の水を沸かしてお風呂にしていたため価格を抑えられたそうです。

湯船は安さと機動力を駆使して江戸の町で一大ブームを築いました。

郊外に住む人たちになどにとって「お風呂 = 湯船」だったため、「湯船」という言葉が「浴槽」と同じ意味で江戸から全国に広がっていったといいます。

あとがき

江戸時代に広まった「湯船 = お風呂」が令和時代になった今もなお残っているなんて驚きです。

江戸時代にお風呂が根付いたのならば、それ以前の時代はお風呂というものがなかったのでしょうか?
そういえば歴史の授業で平安時代の貴族は香りを身に付けることで臭いを消したと習ったようないなかったような…。

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