なぜお城にしゃちほこが乗っているの?『チコちゃんに叱られる!』

2020/4/10放送の『チコちゃんに叱られる!』
西山茉希さん、谷中敦をゲストに迎えています。

チコちゃん「なぜお城にしゃちほこが乗っているの?」

織田信長へのリスペクト

詳しく教えてくださるのは、日本の城に詳しい広島大学名誉教授の三浦先生です。
三浦先生は大河ドラマ『麒麟がくる』の建築考証も手がけるお城のスペシャリストです。

しゃちほこの始まりは安土城

初めてお城にしゃちほこを乗せたのは織田信長の安土城だといわれています。
要するに現在の我々が城だと思っているものは実は信長が作り出したものです。

日本で初めてしゃちほこが乗ったのは織田信長が作った安土城。
しかし現在は城跡が残っているだけでその姿を見ることはできません。

三浦先生ご自慢の復元図があるようです。
立派な城の屋根の上には確かに一対のしゃちほこが乗っています。

安土城は革命的な城だった

そもそも城というのは敵の攻撃から守るための要塞です。
したがって信長以前の城というのは鯱がないどころか、土でできていて高い石垣や天守もない非常に粗末なものでした。

『麒麟がくる』にも登場する岐阜県の稲川山城のようにもともと城は山の地形を生かして敵の攻撃を防ぐ「山城」が主流でした。

城の立派さをみせつけることによって相手を屈服させる、それが織田信長の発明・創案でした。
つまり安土城はそれまでの概念を変える革命的な城だったのです。

信長が中国の宮殿に憧れてしゃちほこを乗せた

なぜ信長はこの安土城にしゃちほこを乗せたのでしょうか?
おそらく信長は中国文化に非常に傾倒していました。

中国といえば皇帝が住んでいる宮殿の屋根の上に竜が乗っていました。
それに憧れた信長は自分の城にも竜を乗せたいと信長はすごく思いました。

しかし、よく見るとこの竜は胴体がありません。
首から上しか乗らないとなる武士にとっては打ち首のようなもので縁起が悪いです。

そこで信長が目を付けたのが鯱(しゃち)でした。
鯱とは頭が虎もしくは竜でで胴体が魚の、中国の空想の生き物です。

鯱を屋根に乗せた時に尾っぽを上の方にせり上げると威勢が良くて格好が良いと。
しかもその姿が中国の「矛」という武器によく似ていますから「しゃちほこ」と名付けました。

極めて中国的であり、なおかつ威勢が良くて格好が良いということで、信長の考えで一番理想的だったのがしゃちほこだったということですね。

また、鯱は火事のときに水を出して火を消すという伝説もあります。

安土城は本能寺の変と同年に焼失

1579年、3年がかりの工事を経て安土城が完成しました。
日本で初めてしゃちほこが乗った城は天下統一のシンボルとなるはずでした。

しかし、その更に3年後の1582年 本能寺の変で信長はこの世を去りました。
同じ年に安土城のしゃちほこも焼失してしまいます。

秀吉が信長の意志を継いで安土城スタイルの城を作った

天下統一を果たせなかった信長の思いを引き継いだのが豊臣秀吉でした。
秀吉は信長の事業というのは非常に評価していたので城を作るときに安土城スタイルの城を作りました。

こうして秀吉が作ったのが大阪城です。
しゃちほこが乗った信長スタイルを継承することで自分こそが信長の後継者であると知らしめたのです。

さらに秀吉に従う大名たちにもしゃちほこが乗った信長スタイルの城を作るように命じました。
城の形をどうするかは支配者が決めることで、秀吉の命令によって日本中に信長型の城が広まりました。

全国の城が安土城の形すなわち信長に対して非常に敬意を払っている、いわば信長に対してリスペクトしているということになります。

口紅をつけたしゃちほこ

広島城の天守は戦後に再建されたものですが、2009年の発掘調査で約400年前のしゃちほこがほぼ完全な形で発見されました。

これは現存する日本最古のしゃちほこです。
その口元は鮮やかな赤でまるで口紅をつけたようです。

安土城が燃えてしまってから8年後ぐらいの8年後に作られた城なので、おそらく信長の安土城に乗っていたしゃちほこはそれに近かったんじゃないかと思います。

あとがき

しゃちほこって金箔が貼られて金ピカのイメージがあります。
口紅が塗られたように口元が赤いイメージはありません。

しゃちほこが金ピカのイメージはきっと名古屋城のイメージが強いからでしょう。
名古屋城はきっと秀吉が立てた城だろうなと思いつつ調べてみたところ家康でした!

また1つ勉強になりました。

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