なぜ小学生はランドセルを持っているの?『チコちゃんに叱られる!』

2020/5/8放送『チコちゃんに叱られる!』
田中美佐子さん、千葉雄大さんをゲストに迎えています。
チコちゃん「なぜ小学生はランドセルを持っているの?」
学習院が採用したから
詳しく教えてくださるのは、ランドセルの歴史に詳しい日本鞄協会 ランドセル工業会の会長 林州代さんです。
ランドセル文化は学習院から始まった
小学生がランドセルを持つようになったのは学習院が採用したからです。
天皇陛下が通われていたことでもおなじみの学習院、その初等科つまり小学校のランドセルを導入したことがきっかけで小学生の鞄といえばランドセルという文化が広まりました。
では、なぜ学習院でランドセルが導入されたのでしょうか?
明治10年に開校された学習院は華族(当時の上流家庭)の教育を目的としながら平民の入学も許可されていました。
するとある問題が起きました。
通学時に馬車で通って使用人に荷物を預ける子供がいた一方で風呂敷で勉強道具を持ち運ぶ子供がいたりと家庭環境の差が激しかったのです。
そんな状況に学習院は「学校はみんな平等。家庭環境を教育の場に持ち込むのはよくない」ということで学習院の生徒は学用品を自分で持ってくるようになりました。
当初は背嚢が使われていた
このとき学習院は中学3年生以下の生徒に対して共通の通学カバンを採用しました。
それが当時 日本の軍隊で使われていた背嚢(布製のカバン)でした。
両手が使えてなおかつ多くのものが収納できるという利便性からこの背嚢が採用されたといわれています。
こうして開校から8年後の明治18年 学習院の生徒は背嚢を背負い自分の足で歩いて通学するようになりました。
この背嚢が後にランドセルと呼ばれるようになりました。
背嚢はオランダから持ち込まれたものでオランダ語で「ランセル」といい、それが転じて「ランドセル」という言葉が生まれたのです。
総理大臣が献上した特注ランドセルが今のスタイルの原型
このランドセルが今のような箱形になったのには あるきっかけがありました。
明治20年 後の大正天皇が学習院初等科にご入学される際に当時の総理大臣 伊藤博文 が特注の背嚢を大正天皇に献上されました。
黒革が使用されたこのランドセルは「学習院型ランドセル」と呼ばれ、サイドに筆箱を収納できるデザインになっています。
そして蓋の開き方も今と同じように上に開くようになっており、100年以上を経過した現在でも基本的なスタイルは変わっていません。
高度経済成長期に学習型ランドセルが全国に広まった
豊かな家庭が増えて学習型ランドセルに手が出せた
学習院型ランドセルが全国で根付いたのは昭和30年代です。
その背景は2つあるといいます。
昭和30年代はいわゆる高度経済成長期で一般の家庭もいくらか豊かになった時代です。
すると、高価な革製の学習院型ランドセルにも手が出るようになりました。
また、この頃から勉強道具や教科書が増えました。
これにより、頑丈でたくさん物が入る鞄の需要が高まり、学習型ランドセルは瞬く間に全国に広がっていきました。
染色技術の問題で色は黒と赤のみ
そして同じ昭和30年代、黒に加えて赤いランドセルが広まり、男の子は黒、女の子は赤が定番になりました。
赤だった理由は当時の技術では牛革をムラなく染めることが難しく、綺麗に染めることができるのが黒と赤だったからだといわれています。
その後 染色技術は進み、今では様々な色のランドセルが作られています。
ランドセルは子供にとって安全・安心な存在
そしてランドセルがここまで根付いた理由が他にもあるといいます。
まずランドセルを背負うことで両手が空きます。安心だし安全だし、便利ですね。
手提げカバンや肩掛けカバンに比べると両肩で背負うのでとても身体への負担が少ないです。
子供の成長にはとても優しいです。
ランドセルの重さが子供の体に負担だという声を受け、軽量化が進んで中には重さが1キロにも満たないランドセルもあります。
そして極め付きが後ろに転んだ時にランドセルがクッションになって頭を打たずに済みます。
ランドセルが頭を守ってくれるのでランドセルは安全です。
あとがき
いまやランドセルは学校指定ではなくなっています。
つまりランドセルではなく他のカバンを使って登校しても良いのです。
それでもなお多くの小学生がランドセルを背負っているのはランドセルにそれだけの利便性・コスパが良いからでしょうね。
いまのランドセルは昔と違ってカラフルなのでとても羨ましいです。

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