なぜきつねうどんに油揚げがのっているの?『チコちゃんに叱られる!』

2020/5/29放送『チコちゃんに叱られる!』
榊原郁恵さん、ISSAさんをゲストに迎えています。


チコちゃん「なぜ きつねうどんに油揚げがのっているの?」

お客さんが勝手にのっけて食べたから

詳しく教えてくださるのは、大阪の心斎橋近くで明治26年に創業したうどん屋さんの3代目 宇佐美芳宏さんです。

最初にうどんに油揚げを載せたのは明治26年に創業したうどん屋さん

油揚げをのせたおうどんはいろいろ諸説があるみたいですが、先々代の要太郎が甘く炊いたお揚げをおうどんにのせたのが初めと聞いています。

実は江戸時代には油揚げを意味する「信田」というそばやうどんがあったり具にネギと油揚げが使われていたりという記録がありますが、これが現在のような甘辛く煮た油揚げのきつねうどんとはっきりはしていません。

ただ、大阪の方々に聞いてみると現在のきつねうどんは宇佐美さんのお店から生まれたと思われているようです。

きつねうどんがうまれた経緯

先々代の要太郎はうどん屋と寿司屋で奉公していた

先々代の要太郎が江戸時代創業の「たこ竹」という店に奉公していました。
「たこ竹」は寿司屋ですが、さらに「たこ竹」がが営んでいたうどん屋さんがあり、要太郎はここでうどん作りを叩き込まれます。

ところがある時、うどん屋さんが閉店することになってしまい、要太郎はそのままお寿司屋さんで働くことになったのです。
そして後に独立してうどん屋を開業し、それから120年間うどん屋を引き続いてやっております。

看板となるメニューを考える要太郎

開業当時のうどんのメニューは、具のない「素うどん」や煮た椎茸やかまぼこなどのかやくが入った「しっぽく」、そのしっぽくをあんでとじた「あんぺい」、卵でとじた「けいらん」、うどん入り茶碗蒸し「小田巻」などが主流でした。

味にうるさい大阪の街で新しいお店を開くには看板となる新しいうどんが必要です。
看板となるメニューを日々要太郎は考えていました。

要太郎が店を出した船場は商人の町であり、商売繁盛のご利益があるとお稲荷さんを信仰する人が多く、稲荷神社は「こんこんさん」と親しまれていました。
御供物のいなり寿司を見た要太郎はうどん屋さんでお揚げを出すことを思いついたのです。

最初はお揚げを別皿で出していた

寿司屋「たこ竹」のいなりずし用の油揚げをアレンジし、うどんのアテとして美味しく食べられる油揚げの味付けを考え出してメニューに出したのです。
当時 要太郎自慢の甘辛く煮たお揚げは魚のすり身の天ぷらと共にうどんとは別皿で出していました。

甘辛いお揚げの味は労働者が多いこの街で受け、評判は上々でした。

お揚げをうどんに乗せて新しいうどんが生まれた

あるときお客さんがお揚げをうどんにのせて食べ始めました。
うどんと甘辛いお揚げが出会い、さらに味を改良して新しいうどんが生まれたのです。

要太郎はこの新しいうどんを「こんこんさん」と名付けてお店の看板メニューになりました。
こんこんさんがいつからきつねうどんと呼ばれるようになったかは謎です。

地域によってきつねうどんの概念が異なる

一般的に「きつね」は油揚げがのったうどんやそばを、「たぬき」は天かすがのったうどんやそばです。

しかし、大阪では「きつね」といえば油揚げがのったうどん、たぬきといえば油揚げがのったそばということが多いです。

さらに京都ではまた違います。
甘辛く煮ていない刻んだ油揚げをのせたものを「きつね」、それをあんで綴じたものを「たぬき」と呼ぶこともあります。

あとがき

油揚げがうどんにのったきっかけを聞いて大阪らしい展開だとおもいました。
こうなるとたぬきうどんが誕生したきっかけも知りたいですね。

個人的に興味をそそられたのは地域によって「きつねうどん」が全く違ううどんになるということです。
京都のたぬきうどんが食べてみたいですわぁ

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