肉といえば西日本は牛肉、東日本は豚肉なのはなぜ?『チコちゃんに叱られる』 | 頑張ることをやめたら人生楽しくなった

肉といえば西日本は牛肉、東日本は豚肉なのはなぜ?『チコちゃんに叱られる』

2020/7/31放送『チコちゃんに叱られる』
小堺一機さん、中川翔子さんをゲストに迎えています。

チコちゃん「肉といえば西日本は牛肉、東日本は豚肉なのはなぜ?」

西が公家で東が武士の社会だったから

詳しく教えてくださるのは、静岡県立農林環境専門職大学で畜産の研究をしている祐森誠司 教授です。

西日本は農耕や移動として牛を利用

東日本は豚肉、西日本は牛肉の違いは、武士と公家が生活の中で使っていた動物の違いが大きく影響しています。

今からおよそ1400年前、飛鳥時代から平安時代まで日本の中心は奈良・京都など公家が中心の社会でした。
その当時に西日本で仕事をしてくれる動物として使われていたのが牛です。

縄文から弥生時代に水田技術とともに伝わったとされています。
力が強くてゆっくり動くため人々が扱いやすく、農耕や国の移動を手伝う動物として重宝されました。

地理的無問題で牛が東日本に伝わらなかった

西日本ではなくてはならなかった牛ですが、東日本には運ぶ輸送手段がなくて広まりませんでした。
途中にはアルプスの高い山、静岡県の中に流れてる大きな川がたくさんありますのでなかなか運べなかったのです。

さらには富士山の火山灰が積もる痩せた土地だったため大量に牧草を必要とする牛はほとんど育てることができませんでした。

東日本は農耕や移動として馬を利用

平安時代の後期から鎌倉時代に変わった段階で政治の中心が京都から関東の方に移ります。
公家の社会は西に残って武士の社会が東の中心になっていくわけですが、このときの移動手段として馬が利用されるようになります。

鎌倉時代には幕府に何かあればいち早く駆けつける「いざ鎌倉」の時代、何よりも速い移動手段が馬であり、戦でも活躍します。
武士にとって馬はなくてはならない存在になりました。

さらに牛と比べて胃袋が小さい馬は草の少ない関東でも飼育ができ、農業にも活躍しました。
鎌倉時代の書物には「馬の産地は東日本、牛の産地は西日本に多かった」と書かれています。

日本は仏教の教えで食肉が禁じられていた

馬や牛があると食べるのでは?と思いますが、当時は基本的に肉を食べることがありませんでした。
日本は飛鳥時代に伝わった仏教の影響で動物を食べることが度々禁じられてきました。

基本的には明治時代になるまでの約1,200年間 食肉は禁止でした。
そんな中で「西日本は牛」「東日本は豚ではなく馬」という土壌が出来上がりました。

食肉禁止の時代に農耕や移動に使えない豚は広まらなかった

豚は戦国時代に沖縄と九州の間の島々に伝わってきました。
しかし、数が少なかったこと、そして島と本土の間で交流があまり多くなかったということで豚を食べる文化はなかなか本土の中に伝わってきませんでした。

さらに 牛や馬と違って農耕や移動手段の役に立たない豚は食肉禁止の時代にはあまり広まらなかったようです。
しかし、この食文化に大きな変化が起こります。

文明開化をきっかけに牛肉を食べる文化が広まる

江戸時代末期、開国によって日本に外国人が押し寄せると食肉文化の外国人が日本で肉料理を食べました。
食肉は文明開化の象徴として横浜などで流行します。

1862年には横浜に初の牛鍋屋「伊勢熊」ができると、福沢諭吉が「牛肉は滋養に良い」といったこともあり牛鍋が大流行します。
こうして日本中に牛肉を食べる文化が広がりました。

では 豚はというと、実は明治5年に政府主導の下 西洋式の養豚法を取り入れますが牛肉に対抗するほどには広まりませんでした。
しかし、このあと戦争をきっかけに豚が広まります。

品薄の牛肉に変わって豚肉の需要が高まった

1894年日清戦争、1904年日露戦争と日本は立て続けに戦争状態になります。
このとき軍隊の食料に採用されたのが牛肉の缶詰でした。

これを機に軍が牛肉を買い占め、たちまち牛肉は品薄になり価格が高騰します。
牛の産地である西日本はまだしも、東日本には牛肉が出回らなくなります。

牛肉品薄のピンチを救ったのが豚でした。
豚は雑食性の動物なのでどんなものを食べても早く大きくなっていきます。

残飯が多かった都市部に豚の雑食性がマッチしました。
さらに豚肉料理の定番カツレツや豚カツなどが誕生し、豚肉の需要はうなぎ登りです。

戦後 安く大量に生産できて栄養素が高い豚が注目された

豚肉の広がりを決定づけたのが終戦を迎えた日本の食糧事情でした。
国民に栄養の高い食料・食肉を提供しようとしたとき豚肉に白羽の矢が立ちました。

豚は食肉として育つまでが6ヶ月と牛の1/5です。
年に20〜30頭を産む優れた繁殖力にも注目され、茨城や千葉に次々と畜産試験場が建てられました。

こうして安く大量に生産できる豚が東日本に広まっていきました。

しかし どうして西日本には安くて美味しい豚肉が広まらなかったのでしょうか?

西日本にはそれよりも先にも牛肉の文化が定着してます。
豚肉の文化が入りこんでいく余裕が西にはなかったわけですね。

こうして西日本は牛好き、東日本は豚好き文化が完成しました。

あとがき

牛肉文化と豚肉文化の背景を知りとても面白いと思いました。
食文化は歴史なしでは語れませんね。

日本では長い間 食肉禁止だったので文明開化で外国人が肉を食べるのを見た時は非常に驚いたはずですし、牛肉文化を最初は受け入れられなかったはずです。
しかし今は牛肉も豚肉も美味しくいただいています。

昆虫には栄養素が非常に高いことがわかっています。
昆虫を食べる文化をまだ多くの日本人が受け入れられていませんが、いつか「うまい、うまい」と昆虫を頬張る時代が来るかもしれません。

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