なぜ指揮者は手を振るの?『チコちゃんに叱られる』

2020/8/21放送『チコちゃんに叱られる』
天海祐希さん、笑福亭鶴瓶さんをゲストに迎えています。
チコちゃん「なぜ指揮者は手を振るの?」
一瞬先の未来を演じているから
詳しく教えてくださるのは、音楽史誌研究の第一人者 国際基督教大学の金澤正剛 名誉教授です。
オーケストラは指揮者の頭で奏でた音楽
オーケストラに指揮者は必要です。
何故かというと、指揮者は楽譜を見てどんな曲か頭に浮かべます。
自分の解釈を演奏者に伝えるために手を振ります。
つまり、私たちは指揮者の頭の中で鳴った音楽を聴いているのです。
手の動きにはこれといった決まりやルールはなく、人によってバラバラです。
指揮者によってどれほど違うのかというと、20世紀を代表する指揮者で「楽壇の帝王」と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮の特徴は力強く切れのある手の振り方、堂々たる指揮ぶりはまさに帝王そのものです。
一方、楽譜に忠実で緻密な指揮式で有名な巨匠カール・ベームは必要最小限しか手を振らない省エネスタイル、わずかな動きで表情豊かな楽曲に仕上げる指揮はお見事です。
日本のクラシック界を支えてきた指揮者の1人である山田一雄さん、興奮すると飛び跳ねてしまうほど激しく情熱的な指揮で知られる山田さんですが、静かに演奏させるときはまるで物語を演じる役者のように手を動かすのです。
さらには踊るように指揮する人もいれば左右の手をせわしなく動かす指揮者もいます。
曲そのものは変わりませんが、微妙な表現が指揮者によって随分変わってきます。
指揮者が誕生したのは18世紀末
表現の仕方によって曲の方向性を大きく変えてしまうほど十分な役割を持つ指揮者ですが、実は昔は指揮者がいませんでした。
指揮者が誕生したのは18世紀の終わりから19世紀の初めごろです。
それ以前は作曲者自身が演奏しながら周囲に指示を出し、自分のイメージ通りの音楽を演奏していたのです。
しかし、作曲家がいつまでも生きているわけではありません。
その結果 過去の作曲家の作品を演奏することが多くなり、亡くなった作曲家に代わってその曲を再現する人・指揮者が必要になりました。
指揮者が広く知られたきっかけの曲がバッハの『マタイ受難曲』
その存在が広く知られるきっかけとなった曲がバッハの『マタイ受難曲』です。
この曲は『結婚行進曲』の作曲家として知られるメンデルスゾーンがバッハの死後に広めた曲でした。
バッハの時代は曲を後に残すという考えはあまりありませんでした。
演奏のために楽譜を書くので演奏が終わったらどこかの棚に置いたままにしていました。
メンデルスゾーンがこうして眠っていた「マタイ受難曲』の楽譜を発見します。
その楽譜を猛勉強して自分が指揮者となって演奏会を行い、曲を見事に復活させて世に広く知らしめたのです。
作曲家が残した楽譜を発掘して演奏してきた指揮者がいたからこそ私達は今 何百年も昔の曲をこうして聞くことができているのです。
同じ曲でも指揮者が違うと全く別の曲になる
楽譜から音楽を再現して伝えるために生まれた指揮者ですが、同じ曲でも指揮者が違うとまったく別の曲になるといいます。
誰もが知る「ベートーベンの交響曲第5番『運命』」で比較してみると、日本クラシック界のレジェンド朝比奈隆さんは深みのあるゆったりとした『運命』で演奏時間は41分34秒、
一方でスピード感あふれる指揮が持ち味のジャナンドレア・ノセダは指揮台に上がった瞬間から息をつく暇がないほどの超高速で演奏時間は30分29秒です。
同じ曲なのにおよそ10分の違いがありました。
曲をどのように解釈するかによってこんなにも大きく変わるのです。
指揮者はズレを生じないように一瞬先の合図を出している
指揮者はあることに注意して手を振っています。
指揮者がサインを出だします。
それを見て演奏家が音を出します。
楽器を演奏する人たちは指揮者の合図を目で見てから演奏を始めるためズレが生じてしまいます。
しかし「先振り」で一瞬早めに手を振ることで理想のタイミングで演奏させることができるのです。
指揮者は「一瞬先の未来」を見据えながら絵を振っていたのです。
あとがき
オーケストラのことはよくわかりません。
上野樹里さん・玉木宏さんが出演された『のだめカンタービレ』を観て面白いと思った程度の知識です。
昔は作曲者自身が指揮をとっていたのですね。
いまは作曲者自身が指揮をとることはない…ですよね?
そもそもオーケストラの作曲をしている人が現代に存在しているのでしょうか?
オーケストラが奏でる曲は古い時代に生まれた名曲だけのイメージです。
同じ曲なのに指揮者によって全然地学曲に聞こえるって面白いですね!
しかも指揮者は一瞬先の未来を見据えているってカッコ良すぎます。

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