山手線ってどこからどこまで?『チコちゃんに叱られる』

2020/9/11放送『チコちゃんに叱られる』
池田美優(みちょぱ)さん、豊川悦司さんをゲストに迎えています。

チコちゃん「山手線ってどこからどこまで?」

品川から田端

詳しく教えてくださるのは、鉄道ジャーナリストの梅原淳さんです。

山手線は1周していなかった

路線としての山手線は品川から始まって新宿駅を通って田端までが山手線となります。
山手線は1周していないのです。

国土交通省の鉄道要覧には、山手線は品川から田端と書かれています。
そして東京駅から上野を通り田端を超えて大宮までの区間は東北線、東京から品川までは東海道線と書かれています。

つまり、皆さんが一周していると思っていた山手線は3つの路線に分かれているのです。

山手線が1周するまでの経緯

山手線が3つの路線に分かれている理由は鉄道の成り立ちに関係しています。

初めての鉄道は新橋駅から横浜駅まで

日本で初めての鉄道というのは東京の新橋駅(現汐留)から神奈川県の横浜駅まででした。
1872年 首都東京と交易の拠点横浜を繋ぐため、新橋までの路線が開通されました。

次に首都東京と東北方面を繋ぐために上野と群馬県の高崎の間に電車を通します。
この2つの路線を繋げようとするのですが問題が出てきました。

新橋と上野の間は東京の中心なので通すことができなかったのです。
新橋と上野の間は銀座や日本橋などがある東京のど真ん中で土地の値段が高く、買収費用がかさみます。
さらに鉄道という新しいものへの不安から住民の反対もあり、線路を通すことを断念しました。

新橋と上野を結ぶのを諦めて東京の西側をつなげた

しかし、なんとか電車で横浜と東北方面を繋ぎたいということで、品川駅から東京の西側の渋谷・新宿を通り、埼玉の県境の赤羽駅まで線路を繋いで東北方面と横浜方面を結ぶことにしたのです。

次に、山手線の終点である田端駅が作られます。
田端駅から茨城方面をつなぐ今の常磐線というものができます。

田端駅は茨城・福島方面から石炭を東京に運ぶなどの目的で作られました。
その石炭を横浜にも運ぶため、田端と池袋を繋ぎます。

この区間がのちに「山手線」と名付けられたのです。

こうして品川から田端を走る山手線が誕生しました。
最短距離で横浜と繋げるため、赤羽は山手線から外されてしまいました。

最後に新橋と上野を結んで山手線が1周した

そのあとは最初は反対していた新橋から上野間に住む人たちも鉄道の便利さがわかったことなどで反対運動が少なくなっていきます。

こうして東京・秋葉原などの駅が生まれ、1925年に新橋・上野間が開通しました。

このように山手線はもともと東海道線と東北線に相乗りする形になっています。
そのため山手線というのは1周している路線ではなく、品川から田端までという路線になったのです。

山ばかりを走るから「山手線」

ところで、なぜ、山手線というのでしょうか。

実は山手線は田端付近から山を走ります。
山ばかりを走るということで「山手線」になりました。

地形図で見ると田端駅があるのはまさに山の入り口です。
ここから先、新宿などがある西側は高台にあることがわかります。

ここに電車を通すとなると、山を登ったり谷を下ったりしなければなりません。
しかし、今の電車はある程度 坂を登っていきますが、2%の坂というのは当時の蒸気機関車では大変辛い坂道だったと思います。

開業当初 坂を登る力がなかった山手線。
そのため、谷の部分には橋を架け、山の部分は削って開通させたのです。

例えば、高田馬場の北側や渋谷付近は谷を越すために橋がかかり、池袋付近などは山を切り開いて走っているのがわかります。

いわれてみれば見慣れた風景を私たちはなぜそうなっているのかを考えることなく通り過ぎていますが、実は先人たちの鉄道を通すという情熱の賜物だったのです。

あとがき

山手線が品川駅から田端駅までだったなんて衝撃を受けました。
国土交通省の鉄道要覧には品川駅から田端駅までですが、あの緑色の車両は実際に1周しているので山手線は1周していると言って良いじゃないですか。

ただ、山手線に乗っているときに「あ、いま京浜東北線になった」「いま東海道線だ」と思うだけで楽しそうだなと少し思ってしまいましたが。

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