なぜ給食に揚げパンが出るようになったの?『チコちゃんに叱られる』

2020/10/23放送『チコちゃんに叱られる』
丸山桂里奈さん、陣内孝則さんをゲストに迎えています。

チコちゃん「なぜ給食に揚げパンが出るようになったの?」

欠席した子供においしいパンを届けるため

詳しく教えてくださるのは、東京大田区で給食の栄養士を務め、給食の歴史について調査した木崎雅紀子さんです。

人気の給食メニュー揚げパンの発祥は長い間知られていなかった

揚げパンは給食の人気メニューにも関わらず、長い間その発祥については知られていませんでした。

しかし 2004年〜2005年に給食の歴史を調査したときに、揚げパンは大田区の小学校で誕生した可能性が高いことがわかりました。

日本各地の古い献立表を調べたところ、揚げパンが登場するのは確認できた限りでは昭和30年代半ば以降でした。
しかし 東京の大田区には昭和29年の段階で揚げパンが給食に出されていた記録が残っていました。

さらに調査した結果、大田区の嶺町小学校で給食の調理師をしていた篠原さんがが昭和27(1952)年頃に考え出したという結論になりました。

給食の歴史

明治22年 山形県で始まったといわれる日本の学校給食ですが、昭和16年に戦争による食糧不足のため一旦中止になります。

終戦後の昭和22年に再開し、この当時の献立は援助物資として送られてきたトマトの缶詰などを使ったスープと脱脂粉乳でした。

そして昭和25年に主食・おかず・脱脂粉乳が提供される完全給食が開始しました。
このとき給食の主食の座に登場したのがコッペパンでした。
コッペパン・脱脂粉乳・味噌汁、これが当時の定番の献立でした。

まだまだ贅沢は言えなかったこの時代、たまに出る鯨の竜田揚げはご馳走でした。

昭和51年 学校給食に大きな転機が訪れました。
米飯給食の導入です。

揚げパンは欠席した生徒のために作られた

昭和21年の冬、流行性の風邪によって多くの児童が欠席したため給食のコッペパンが大量に残っていたそうです。
欠席した児童のパンを近所の子が放課後に届けていました。

とはいえ、この頃のコッペパン時間が経つと硬くパサパサになって正直美味しいといえるものではありませんでした。
そこで、給食室では病気で欠席している子供たちのために少しでも美味しくできないかと考えていました。

すると1人の調理師が「揚げてみようか」と言い出して大きな鍋の中にコッペパンを次々と揚げ、きつね色になったパンにはたっぷりの砂糖がまぶされました。
このパンを揚げた調理師が篠原常吉さんでした。

この日に揚げられたパンをわら半紙に包まれ病気で欠席した児童たちの元に届けられました。
休んでいた生徒が学校に投稿して「なんだか甘いおいしいものがあったぞ」と報告して学校中が話題になりました。
それで先生が動き、学校が動いてそれ以後そのパンは「揚げパン」という名前で学校の給食の正式なメニューになったのです。

給食の揚げパンを考えた篠原さんはその後も子供たちが喜ぶ給食作りを続けます。
給食のコンクールでも1位に輝きました。

記録には何も残ってはいませんが、篠原さんの功績によって揚げパンは味のバリエーションも増やしながら全国の人気メニューになっていきました。
多くの日本人の記憶に残るこの思い出の味は令和の時代になった今でも給食の献立に残り続けています。

あとがき

学校の給食に揚げパンは出なかったような…。
コッペパンはあったけど揚げパンはなかったなぁ…。
今もなお人気の給食メニューと出ていましたが、給食で食べた記憶が全くありません。

地方だったからですかね?
よくわかりませんが、多くの日本人の記憶に残る思い出がわたしにはなくて少し寂しく感じました。

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