世界で活躍するためのメンタル術!サッカー元日本代表選手・内田篤人が人生で大きな決断をするときのヒント教えます『世界一受けたい授業』

2020/10/24放送『世界一受けたい授業』


今年8月に引退されたサッカー元日本代表内田篤人先生がお越しになりました。
まずは先生のサッカー人生を振り返りたいと思います。

元日本代表・内田篤人先生のサッカー人生

内田先生はイケメンJリーガー選手権1位、恋人にしたい日本代表ランキングで1位を独占するほど女性に人気の選手です。
今年8月にサッカー元日本代表の内田篤人選手が14年半の現役生活に幕を下ろしました。

一見クールな内田選手ですが、日本代表のチームメートに聞くと「ピッチで意外と声を出す」「戦う選手でスネが傷だらけ」「逆にふざけていじることもある」。

2010年にドイツの名門シャルケに移籍しました。
Jリーガーの平均年俸は当時1850万円ですが、22歳にして10倍以上の2億1000万円(推定)です。

さらに日本人初の快挙、チームをチャンピオンズリーグベスト4に導き、愛称「ウッシー」でドイツ人ファンを虜にしました。
ドイツ・ブンデスリーガのベストイレブンに2度も掲げました。

そんな内田選手は体が特別に大きいわけではありません。
走るスピードも50m6秒台と飛び抜けて速いわけではありません。

内田式メンタル術のおかげで世界のトップになったのです。

実は内田先生は海外でプレーする日本人選手のほとんどがするあることをしませんでした。
それは「通訳をつけなかった」。

ドイツ語が全くわからない内田先生はあえて通訳をつけませんでした。
その理由は、チームにいち早く馴染むため。

直接会話することで選手との距離を縮める、海外に適用するためのメンタル術です。
通訳をつけないことでドイツ語を嫌でも学ばなければならない環境にしたことで、フランス代表のスター選手リベリーを抑えるなどチームの勝利に貢献し、世界を代表する選手になりました。

鹿島アントラーズ入団の決め手はスカウトの言葉

内田先生はプロになるとき7チームからスカウトされました。
その中から鹿島アントラーズに入団を決めたのですが、その理由はスカウトのある言葉でした。

内田先生の心を動かしたスカウトの言葉とは「試合に出られる保証はないよ。」
普通の選手ならその言葉で入団しようとはしません。

普通なら試合に出れるよという言葉掛けをしてチームに招きたいところですが、内田先生が選んだ鹿島アントラーズというチームは「来てもレベルが高いから出られる保証はないよ」と言ったのです。
しかも内田先生が練習を見に行ったときに鹿島の選手も「好きなところに行け。自分で決めろ。」と言ったのです。

そういうところがプロフェッショナルだと思い、鹿島アントラーズというチームに入ると決めました。

内田式メンタル術

内田先生は10代で見つけたメンタル術があります。

メンタル術1「感情は表に出さない」

難しい世界で活躍する選手を多く見てきた内田先生は、自分のゴールで試合に勝っても「たまたま僕のゴールだった」と感情を表に出しません。
しかし、プロに入る前は違いました。

サッカーの名門・清水東高校では1年生から大活躍していました。
勝っても負けても激しく感情を出していましたが、プロに入って一流選手は常に気持ちが一定でブレないと知りました

もちろん感情は表に出さないけど熱い気持ちは根本にあります。
熱い気持ちがなくなったら選手としては駄目ですが、良いときも悪いときも常に一定の気持ちで試合に臨む、それが安定したプレーに繋がっています

これはスポーツに限らず、仕事や勉強でも安定した結果を上げる手段だと思います。

メンタル術2「逃げ道を作る」

人生で大きな決断を下すときに内田先生は逃げ道を作るそうです。
逃げ道というとネガティブな感じがあるかもしれませんが、違う道・違う考え方を持つということがすごく大事です。

たった1つの目標に向かって努力することも大事です。
しかし、夢が叶わなかったときに大きな絶望感を味わいます。

なので、逃げ道 つまり もう1つの夢や目標を持っていた方が案外リラックスできて良い結果があります。

メンタル術3「決断に誇りを持ち後悔しない」

決断したことに誇りを持ち後悔しないことが重要です。
後悔することは何ヶ月も迷って自分が考えた決断を否定することになります。

チームに好影響を与える人は世界で活躍できる

世界で活躍できる選手はチームに好影響を与えることができる選手です。

周りが大変なときにどう動けば、チームが良い方向に進めるかと考える。
これは学校や会社などの集団活動で求められる重要なメンタルです。

プレーだけでなく心構えも評価された内田先生は引退後すぐに10代の日本代表候補のコーチに抜擢されました。

移籍後も鹿島アントラーズの利益になることを考え続けた

内田先生はプロ5年目でドイツの名門チーム・シャルケに移籍するにあたり、ある条件を契約書に明記しました。

それは鹿島アントラーズに1億円以上の移籍金を支払うことです。
少なくとも億単位のお金を払えるチームを選んだそうです。

サッカー選手がチームを変わるとき新しいチームから元々いたチームに移籍金が払われる場合があります。
当時の記事によると、シャルケから鹿島に支払われた移籍金は1億5000万円。
移籍した翌年、鹿島はそのお金などで選手を補強し、カップ戦で優勝を果たしました。

高卒1年目から起用してくれた鹿島に対して恩返しが必要だと考えたのです。

実は 移籍金だけではなく、恩返しの1つとしてドイツから帰国したときには空港で待っていた記者たちに必ず鹿島のクラブハウスで練習する日程を伝えていました。

内田先生が鹿島で練習することが記事になれば、いつも以上にサポーターが鹿島まで足を運び、グッズを買ってくれたり食堂を利用してくれたり鹿島の利益に繋がるという思いがあったのです。

東日本大震災をきっかけに人のためにプレーをするようになった

実はシャルケに移籍した後、内田先生の考えを大きく変えた出来事がありました。
シャルケに移籍した翌年の2011年3月11日 日本で東日本大震災がおこりました。

未曾有の大災害はドイツでも大きく報道されました。
ニュースを目にした内田先生は被災地の方々を勇気付けたいと、これまで目立つことを避けてきたが初めて注目されるには何をするべきか考えました。

震災の翌日、ピッチに立った内田先生はいつも以上に気迫あふれるプレーでチームを勝利に導きました。
常々「サッカーは人のためじゃない自分のためにやっている」と公言してきた内田先生が初めて人のためにボールを追いかけたのです。

そして試合後 内田先生はカメラに向かって「日本の皆へ 少しでも多くの命が救われますように 共に生きよう!」
世界に発信してもらえるよう日本語だけでなくドイツ語でもメッセージを綴ったのです。

助けてくれた人に恩返しがしたい

ドイツに渡って4年目の2014年、内田先生は思わぬ怪我に見舞われました。
右太ももの肉離れと腱損傷です。

症状はかなりひどく、手術をしないといけまえん。
しかし、4ヶ月後にはワールドカップが控えていました。

手術をしたらW杯に間に合わないので手術はしないと決断した内田先生を支えてくれたのは日本代表のコーチやトレーナー、そして日本の医師です。
はるばるドイツまで来て復帰をアシストしてくれたのです。

怪我からから107日後 国際親善試合日本対キプロス戦のピッチには内田先生の姿がありました。
多くのスタッフの献身的なサポートで見事復活を遂げたのです。

そして復帰戦でゴールを決めた内田先生は歩み寄る香川選手を振り切って真っ先に向かったのが、自分を支えてくれたトレーナーやコーチ、医療スタッフの元でした。
選手だけでなく、支えてくれたスタッフにもスポットライトを浴びて欲しかったのです。

あとがき

周りのために考えて行動し続けた人だからこそ、周りの人もその人のために助けようと思うのですね。
まさに「情けは人の為ならず」です。

わたしは助けてもらうばかりだったので人のために周りの利益になるように考えて動いていこうと反省しました。
少なくとも受けた恩は忘れないで生きていきたいです。

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