なぜ始球式で空振りするようになったの?『チコちゃんに叱られる』

2020/7/18放送『チコちゃんに叱られる』(2019/4/19の再放送)
石田ひかりさん、大竹まことさんさんをゲストに迎えています。


チコちゃん「なぜ始球式で空振りするようになったの?」

大隈重信が偉すぎて空振りするしかなかったから

詳しく教えてくださるのは、野球の歴史に詳しい名城大学 鈴村 准教授です。

始球式はアメリカから伝わった

実は始球式自体はアメリカから伝わったものです。
記録に残っている最古の始球式は1892年に行われたアメリカのプロ野球リーグ「ウエスタン・リーグ開幕戦」でした。

その翌日の地元紙にはこう書かれています。
「州知事がグラウンドにボールを投げ入れた」

その始球式の投げ方というものは今の日本の方法とは違い、客席からグラウンドに向かって球を投げるというスタイルでした。
アメリカでは空振りをするどころか、バッターが打席にさえ立っていなかったのです。

日本初の始球式で投げた大隈重信

実は始球式で空振りをするというものは日本が発祥です。
日本に野球が伝わったのは明治5年頃です。

日本の野球の発展に大きく貢献したのは当時アメリカ遠征なども行っていた早稲田大学野球部でした。
アメリカ遠征の中で「始球式というものがある」と知り、日本でもやってみようということになったようです。

明治41年に来日したアメリカ選抜チームと日本のチームが対戦することになり、その記念すべき第1戦は早稲田大学野球部でした。

早稲田大学が第1戦目だったこと、そしてアメリカの職業野球選手が日本で行った最初の試合だったことなどから、その記念として日本で最初の始球式を行うことになりました。

それにふさわしい人物として選ばれたのが早稲田大学の創設者であった大隈重信でした。
大熊は内閣総理大臣を務めた まさに政界の重鎮、その大物が日本初の始球式で投げることになったのです。

投げ方を知らなかった大隈重信のメンツを保つために大学生が空振りした

大物・大隈重信が始球式に投げるとあって関係者たちはどうせならマウンドから投げていただいた方が良いと考えました。
そしていっそのこと打者が立っていた方が大熊先生もさぞ気分も良くなされるだろうと考えたのです。
その打者に白羽の矢が立ったのが、当時の早稲田大学野球部主将で1番バッターだった山脇でした。

そして日本初の始球式に臨むべく大隈重信はグラウンドへ足を踏み入れました。
そのときの実際の写真があり、野球帽をかぶってご機嫌な様子がうかがえます。

大隈重信はピッチャーがどのように投げるのかほとんど知らなかったのかもしれません。
始球式の際になんとボールを転がしたのです。

そのボールがキャッチャーに届くことなく止まってしまいました。
この状況に会場の空気も凍りつきます。

すると、静寂の中アメリカチームのキャッチャーがボールを拾いに行こうとしたのです。
キャッチャーがボールを拾うとボールになてしまう。そう考えた打者・山脇は大隈重信に恥をかかせてはいけないとバットを振りました。

審判者「ストライク」

こうして山脇の空振りにより大隈重信のメンツは保たれ、その場は拍手喝采でした。
これがどんな球が来ても空振りをするという日本の始球式の始まりとなったのです。

この事実は大隈重信がなくなるまで公になることはなかった

しかし、翌日の新聞ではこの空振りについて何も触れられていませんでした。

この始球式の顛末が明らかになったのは、なんと14年後。
大隈重信が亡くなった後に発行された雑誌の記事でした。

大隈重信は早稲田大学の創設者でしたし元総理大臣ということでとにかく大物でした。
バッターが気を遣ってバットを振ったということが書けなかった、あるいは書かなかったのですね。

それだけ偉大な人物だったということがいえると思います。

あとがき

日本初始球式で投げた人物が大隈重信だったことに驚いたのはもちろんですが、忖度をはかって空振りをした人物が大学生であるという事実に驚いています。

私だったらそこまで気が回りません。
空気と一緒に体も頭も固まって真っ白になっていたでしょう。
そして後で関係者に「先生の顔に泥を塗るな!」と怒られていたでしょう。

偉い立場になると間違ったことも「間違い」といわれなくなる。
非常に恐ろしい場所だと思いました。

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