学校・会社のお悩み解決!偉人に学ぶ生き方術『世界一受けたい授業』

2020/12/5放送『世界一受けたい授業』
皆さん、学校や会社など人間関係で悩みを抱えていませんか?
そんな悩みを解決する生きるヒントを授けてくれるのが動乱の世を生き抜いた偉人です。
今からでも使えるテクニックを教えてくれるのは作家人気作家 直木賞にノミネートした今村先生です。
戦国時代の武将の生涯を描いた著書『じんかん』は今期発売された小説の中で最も面白い作品(山田風太郎賞)に選ばれました。
さらに今話題となっている大泉洋 主演『新解釈 三国志』からも学びます。
1800年前の中国統一を目指す英雄の物語『三国志』は漫画やゲームなどで世代を超えてロングセラーとなりました。
『三国志』の英雄たちは生きるヒントが埋まっています。
人の心を動かす術
まずは坂本龍馬です。
対立していた薩摩藩と長州藩の仲を取り持ち同盟を結ばせた龍馬には人間関係を上手に取り持つテクニックがありました。
坂本龍馬は勝海舟の考え方に感動して「弟子にさせてください」とお願いしました。
弟子入りを許可された龍馬は武士にしては珍しく恥ずかしげもなく喜びを表現しました。
喜びを抑えきれない龍馬が姉に書いた実際の手紙には
「勝麟太郎(勝海舟)という大先生の門下となり、ことの外 可愛がられ少しエヘンに顔してます。エヘンエヘン」
ちゃんとカタカナで「エヘン」と書き、ウキウキモードを全開しています。
武士の手紙で「エヘン」と書くのはかなり珍しいことです。
このように喜びを素直に表現できる人だったからこそ 人々の心を動かしたのです。
喜んでいる姿を見て悪い気をする人はいませんよね。
まさに今からでも使えるテクニックです。
部下のやる気アップ術
勝ち目のない戦いでどうしたら部下のやる気を上げられるのだろうか?
偉人の中にはある方法で部下のやる気をアップさせた将軍がいます。
室町幕府の初代・将軍足利尊氏は1336年に起こった「多々良浜の戦」で わずか250人の足利尊氏軍に対して朝廷軍は3万人と圧倒的な戦力差で尊氏軍に勝ち目はほぼありませんでした。
戦いを前に尊氏が「もう駄目だ、俺はここで死ぬ!」と言ったことで家臣たちの士気がアップしたそうです。
なんとも頼りない発言のように思いますが、普段は堂々している尊氏が頼りない一面を見せたことで部下は「自分が頑張らねば!」と士気がアップし、不利な状況にもかかわらず尊氏は勝利を収めました。
職場でも「もうできない」みたいな弱音をちょっと入れてみると、周りが「頑張らなきゃ」と思ってくれるかもしれません。
尊氏の弱音に関しては諸説ありますが、計算ではなく本気で言った可能性もあります。
三国志は中国統一のおはなし
『三国志』は中国が約1800年ほど前 魏・呉・蜀 の3つの国にわかれて争っていた時代の話です。
魏の大将が小栗潤が演じる曹操、呉の大将が岡田健史が演じる孫権、蜀の大将が大泉洋が演じる劉備です。
この3人の対象が中国統一を目指そうとしたのです。
3人の中で1番の苦労人が蜀の劉備玄徳です。
敵の心を欺き、一国の王にまで上り詰めた武将です。
わざと弱い姿を見せて相手の心を操った
劉備は蜀のリーダーとなる前に戦いに敗れて後のライバルとなる曹操の元に逃げ込んでいました。
ある日 劉備は曹操から酒の席に誘われ、そこで「今の英雄は君と私だ」と言われたのです。
「今 曹操に目をつけられては困る」と思った劉備は雷鳴を聞いて咄嗟に雷を怖がりました。
髪内を怖がる劉備の姿を見た曹操は「大したことない人だ」と思いました。
わざと雷を怖がり弱い姿を見せることで、相手に警戒されないようにうまく心を操ったのです。
どんな人にも誠意を示す
劉備の人の心を操るテクニックといえば「三顧の礼」という有名なエピソードがあります。
劉備が軍師・諸葛孔明を仲間に入れようと家を訪ねます。
1度2度訪ねたときは孔明は留守で会えませんでした。
3度目の訪問のとき孔明は昼寝中でした。
すると劉備は起こさずに孔明が起きるまで待ち続けました。
ここまでされたら断れないと、孔明は軍師になることを承知しました。
当時46歳の劉備が27歳の孔明に謙虚に接して口説き落とす。
この行動は孔明に誠意を見せる以外にもこの話を聞いた人にそんなにも部下を大事にしてくれるのかと思わせて多くの人材を集めるためのイメージ戦略とも考えられます。
相手と意見が違ったときの対処法
同僚や上司に上手に自分の意見を伝えたい、それがとても上手だった武将がいます。
それが天才軍師・竹中半兵衛。
ある戦いで優秀だがプライドの高い武将が陣形を整えますが、半兵衛から見るとあまり良いものではありませんでした。
どうにかして陣形を直したい半兵衛ですが、素直に聞いてくれないだろうなと思っていました。
そこで半兵衛は「さすがです!見事な婦人ですね!」とまずベタ褒めして相手を気持ちよくさせてから「ただ、あの兵をこの位置に動かせば更に隙がなくなります」と意見しました。
そうすることで「なるほどね、そうしよう。」と快く意見を受け入れてもらえました。
まずは相手を良い気持ちにさせてからお願いを聞いてもらう。
使えそうですよね。
竹中半兵衛は豊臣秀吉の軍師として支え、半兵衛が亡くなったときに秀吉が号泣したといわれています。
お願いを引き受けてもらう術
半兵衛に勝るとも劣らないのが、諸葛孔明です。
『三国志演義』には蜀の孔明がライバル 魏の曹操との決戦に挑むときのエピソードが書かれています。
孔明はこの戦いの要となる場所に武将・馬謖を送り込みます。
しかし それだけでは不安だったため、これまで数々の戦いで勝利を収めてきた武将・魏延も呼び「馬謖の後方を守ってほしい」と指示します。
功績にはならないポジションに魏延は「なぜ私がそんなところに?」と不満を漏らします。
すると孔明は魏延に「魏延にお願いするのはここがとても重要な場所であり、それを守ることができるのは君だけだから。」と話します。
魏延は「え!?俺だけですか!?」と大喜びで馬謖の後方へと向かったのです。
お願いするときは“相手が何と言われたら嬉しいか”を想像し、引き受けたくなる言い方をすることが重要です。
饅頭の起源は諸葛孔明
軍師・諸葛孔明は発明家としての才能もありました。
戦地により多くの食料を運ぶために“木牛”や“流馬”というリアカーのような手押し車を発明した方です。
さらに饅頭の起源は諸葛孔明だったといわれています。
昔 中国の一部では川が氾濫したときに鎮めるために49人の生首を代わりに流すという風習がありました。
孔明はその風習を止めようと生首の代わりに小麦を練ったものに牛肉と羊肉を詰めた代用品を作って川に流しました。
これが饅頭の起源とされています。
饅頭に「頭」という字が入っているのはこういう由来があるからといわれています。
敵味方関係なく情けをかける
喧嘩をすると仲直りが難しいですよね。
そんなときに生きるヒントをくれるのが、人たらしの名人といわれた豊臣秀吉です。
それは猛暑の中で行われた賤ヶ岳の戦いでのことです。
激闘の末 戦には勝ちましたが、負傷した兵士たちは暑さで体力を奪われて苦しんでいました。
暑さに苦しむ兵士たちを見た秀吉は敵味方関係なく笠とみのを被せました。
この行いは「さすが秀吉さん!天下を取る人は違うね!」と人々に褒め称えられましたが、実はこの秀吉の振る舞いは心の広さを見せて敵だった武士を信頼できる仲間にするためのパフォーマンスだったともいわれています。
無知を晒して知を得る
続いては『三国志』劉備もあることをして信頼関係を築いていました。
蜀の劉備を中心に描かれた『三国志演義』には宿敵・曹操軍が2万5000の大軍を率いて劉備軍に攻め込んできたときのエピソードが描かれています。
劉備の中には徐庶という軍師がいました。
徐庶が「あの陣形をご存知ですか?」と聞いたところ、劉備は「全く知らん!見たことない!詳しく教えてくれ!」と恥じることなく言い放ちました。
徐庶から攻め方を丁寧に教えてもらい、劉備は少ない兵で大勝利を収めました。
偉くなると「恥をかきたくないから」と見栄を張ってしまいますよね。
見栄を張らず潔く無知を晒すのは勇気がいることですが、潔く無知を晒すことでみんなにいろいろと教えてもらい周りからも慕われるきっかけになります。
部下をとても大切にする
さらに劉備にはこんなエピソードもあります。
曹操軍との長板の戦いで大敗した劉備軍。
劉備の部下・趙雲は何重にもなった敵の包囲網を切り抜けながら命がけで劉備の息子を救出したのです。
劉備は我が子を守ってくれた趙雲にこう声をかけました。
「子はまた産めば得られるが、君のような優れた武将は得られない。我が子のために危険な目に合わせてしまって申し訳なかった。」
子はまた産めば得られるという言葉は本心ではないかもしれませんが、自分が大切に思われているとわかると人はその人のために何かしてあげようと動くものです。
人の見極め方
よく人を見ていたのが織田信長です。
織田信長は雑用係を呼んでは「もうよい戻れ」と言って何も頼まずに帰していたそうです。
ただ1人、雑用係が去り際に辺りを見渡してゴミを拾って信長に褒められました。
実はこれは信長流テストだったのです。
用を言いつけられなかったからといってそのまま帰るようでは役に立たないと考えていました。
信長が大切にしていたのは、言われたことだけをするのではなく自分で考え機転の利かせられる人間でした。
信長の人を見抜くテストは他にもあります。
信長は自分の切った爪をわざと床に飛ばしてその様子を観察していました。
ある雑用係は落ちた爪を拾い集めていましたが、まだ辺りを見渡していました。
信長が「どうした?」と聞くと、雑用係は「爪が9個しか落ちていないのです。指は10本あるからあと1つ爪があるはずです」と答えると信長にすごく褒められたそうです。
人間は裏切るものである
『三国志』から。
人間というものを見抜いていたのは魏・曹操です。
曹操は人間は裏切るものだと考えていたため、部下の過ちも許すことができたといいます。
曹操軍1万に対して相手は10万軍という圧倒的不利な状況で行われた官渡の戦いでのことです。
官渡の戦い辛くも曹操軍が勝利を収めるのですが、問題はその後。
なんと自分の部下が密告したとされる文書が敵陣から発見されたのです。
「この中に裏切り者がいるかも知れない」と疑心暗鬼になりかねない状況で曹操は文書を燃やしたのです。
「人間は裏切るものである」という考えがあった曹操は、部下を恨むこともなければ怒ることもなかったそうです。
懐の広さを示すことで部下からの厚い信頼を得ることができました。
人間は保身のために裏切るのは当たり前のこと。
冷静な判断をすればチーム力は増すということを教えてくれるエピソードです。
あとがき
歴史があまり好きではありませんが、こうした偉人のエピソードを聞くのは大好きです。
こんな話を聞くと歴史を学びたい気持ちが出てきます。
実は去年末に『三国志全一冊合本版』を購入していました。
セールですごく安くなっていて思わず買ってしまいましたが、いまだに1ページも読んでいません;
『新解釈 三国志』がすごく面白そうなので映画館に足を運んで観に行こうかなと思っています。
その後に『三国志全一冊合本版』を読んでみようかな。

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